2008-10-11 13:49:33
グルジア料理のСуп Харчо(これはロシア語。グルジア語表記は知らない。グルジア文字なんてどうやって入力したらいいかも解らない)を本を見ながら作っていたときに、初めてフェネグリークを使って、その香りに驚いた。調べるとカレーに不可欠とか書いてあるのだが、単独での香りは甘い。偽物のメープルシロップはこれで作ると書いてあるのを読んだことがある。それくらい甘い。それで、その独特の芳香を放つ牛肉とトマトのスープを、娘にもう飽き飽きだと云われるくらい作った。
話は変わるが、「シクラメンのかほり」という歌をご存じだろうか。1975年に布施明が歌った曲である。『日本レコード大賞』をはじめとするその年の音楽賞を総なめにした。作詞・作曲は小椋桂である。当時は気づかなかったのだが、後に何か変じゃないかと思うようになった。「香り」は「かをり」だろう。仮名遣いが間違っているじゃないか。それにシクラメンに香りはないし(それは、どうでもいいけど)。
それに反比例して好感度が上がったのは眞鍋かをりである。ちゃんと仮名遣いが解っている人に名付けてもらえたんだろう。鳥居みゆきの「社交辞令でハイタッチ」の第一回目だけときどき鳥居みゆきが眞鍋かをりに似て見えるという現象のせいで印象がよくなったということもある。
一体何の話をしているんだ。かをりの話である。フェネグリークのかをりの話を書きたかったのである。
最初に買ったフェネグリークがなくなったので、別の会社が販売しているのを買ったのだけど、これが全然香りがない。色も緑っぽいし。蒔いたら芽が出るんじゃないかと思えるほどだ。蒔かなかったけど。ちょっと茶色になるまで煎ってみたが、あまり香りは強まらなかった。残念ながらこれは半分くらい捨ててしまって、新しいのを買った。少し香りは強くなったけれども、最初のには遠く及ばない。次に買ったのも、やはり弱い。あのフェネグリークの香りを感じることはもうないのだろうか。今年の夏はグルジア紛争のニュースが目に入るたびに、フェネグリークの香り漂うСуп Харчоの幻覚を見た。
最初に買ったのは、実はVoxspiceの商品だった。いつも仕事帰りに寄る店には、ここの香辛料がいろいろ置いてあるのだが、フェネグリークは置いていないのだ。だから、店の人に頼んで取り寄せなければならない。私は店の人と話すのが嫌いなので(その店の人が嫌いなのではない。人と話すのが嫌いなのだ)、一回しか註文したことがないのだ。とにかく、人と話すのが嫌いなのだ。怖いのだ。社会生活を営むのにかなりぎりぎりのところにいると自分でも思う。
でも、通販を見つけたからこれからはこいつで註文しようか。再びあの芳香で鼻腔を満たすことができるのか。