2008-10-22 22:57:28
先日、保温鍋というものを買ったのは前に報告したとおり。二度ほど使ってみた。半信半疑で使ってみたのだが、宣伝文句に嘘偽りはなかった。確かに便利である。ガスの炎で熱する時間が大幅に短縮できるし、だから真夏に汗だくになって鍋の中を覗き込まなくていいし、うっかり忘れていて鍋の中身が黒こげになったりすることもない。
しかし、何か物足りない。
家族には好評である。私は5時間近く煮て軟骨が柔らかくなった鳥の手羽元でカレーを作るのだが、ガスの炎を使う時間は一時間もなかった。玉ねぎの形が崩れていなくて、しかし突くと簡単にばらばらになるくらい柔らかく、口に入れれば溶けるようだという。
しかし、何か物足りない。
玉ねぎの形が崩れないのはかき混ぜていないからだ。私は加熱しながら鍋を覗き込んでかき混ぜて観察し、内容物が徐々に変化していく様子を確認するのが好きだったのだ。加熱と攪拌は化学反応の基本である。それが好きで大学は理学部化学科へ進んだくらいだ。料理も楽しいのは加熱と攪拌である。だから、私は肉を長時間煮込む料理が好きである。
保温鍋を使うとまったく触れない。中を覗き込むことすらできない。誰も観察していない鍋の中で鶏の手羽元は果たして生きているのか死んでいるのかというシュレーディンガーの猫のような状態になってもう心配でたまらない(もちろん、シュレーディンガーの猫にはなりません、念のため)。でも、開けるとできあがっているのだ。量子論のように謎めいた鍋である。
加熱と攪拌。魔法使いの大鍋の扱いの基本である。ロード・ダンセイニの作品にA Narrow Escapeという作品があって(河出文庫『世界の涯の物語』に収録されている)、そこでも老魔法使いが大釜に怪しい材料を放り込んでぐつぐつと煮込んでかき回す。そして恐ろしい呪文を唱えるとロンドンの街が崩壊する……はずだったのだが、弟子が偽物の蟾蜍を持ってきたために効力が発揮されずにロンドンは九死に一生を得るという他愛もない話である。大釜は、加熱しながら熱心に攪拌しなければならない。保温大釜があれば魔法使いも楽だろうが、そんなことをしては強力な魔法は生まれない。加熱と攪拌から魔法は生まれるのである。加熱と攪拌が好きなので、将来は魔法使いになろうと子供の頃は決めていた。
保温鍋は何時間待っても中身を煮詰めることができない。いつも蒸発分を見込んで水分を入れているので、ずいぶん勝手が違う。その辺が最大の戸惑いである。それでも、いろいろと利点があるので、多分保温鍋を使い続けるだろう。買ってよかったのだろうと思う。
でも何か物足りない。こんなものを使っていては魔法使いにはなれないだろうし、もしかしたら、化学者にもなれないかも知れない。