2009-01-21 23:09:49
牛頬肉の赤ワイン煮をうまく作れるようになって、月に二回は食べていることは前に書いたことがあるけれども、相変わらず私の数少ない料理品目の最重要料理であり続けている。だから、牛肉の問題には日頃目を配り、不測の事態にも対応できるように心がけているわけだ。今年に入って二度もクローン牛に関する話題がニュースに登場したことを、賢明なる読者の方々はご記憶だと思う。一つは8日の「飛騨牛」元祖のクローン牛が冷凍保存の精巣を使って誕生したという話題(読売新聞)、もう一つは、内閣府・食品安全委員会の作業部会が、同じ遺伝子を持つ動物を作り出す体細胞クローン技術で生まれた牛や豚について「通常の牛や豚と安全性は変わらない」とする評価書をまとめたという19日のニュースである(日本経済新聞)。
遺伝子組み換えに嫌悪感を示す人が多いことは知っていたが、クローン牛や豚に不信感を抱くのはどうも理解できない。遺伝的に全く区別できない動物なのだから。よほどのことがない限り、元の個体が作れなかった物質を作ったりすることはできないはずだ。少なくとも、自然に生まれた牛よりもずっと変化は小さいはずである。テロメアの長さが短くて寿命が短かったりすることはあるのかも知れないけれども、遺伝的には全く同一ではないか。遺伝的に同一の個体を大量に作り出す技術で産生された植物は平気で食べられるのに、動物は駄目だという理由が判らない。挿し木で増やした樹になる果物を食べ、挿し芽で増やした芋を食べる。穀類は普通種だろうけど。安全な牛のクローンはかなり安全なはずだ。尤も、牛の安全性はどうやって確認するのかよく判らないが。そもそも、昔から食料として利用されてきたものは安全性の確認なんかなされていない。汚染や感染の確認はしても、あさり自体の安全性とか豚自体の安全性を調べたことはないと思う。何千年も食べているから食べているだけだろう。
厳密にいえば、植物の遺伝的にまったく同一な個体のコピーは自然界でも起こりうることだけれども、動物の場合は自然界で起こりえないということである。さらに細かいことをいえば、遺伝的に同一の個体が自然に生まれることはあって、人間だって一卵性双生児は遺伝的に全く同一である。また単性生殖で増える状況のある虫、例えばアリマキなんていうのは、遺伝的に同一な無数の個体が生まれてくる。遺伝的に同一という意味では同じだけれども、人工的に発生させたところに不信感を抱くわけだ。
植物だと放射線を当てて変異させたり、薬品で処理して変異させたりした品種を、それこそ無数に食べてきている。どうして植物だと平気で、動物だと駄目なのか。放射線や薬品を使った変異の誘発は平気で、組み換え遺伝し技術による変異は駄目なのか。私には理解できないが、自然に起こるかどうかという違いだけである。
クローン牛を作って食べるのは採算という意味で効率的ではないと思うけれども、今回の「飛騨牛」元祖のように、特別な意味のある個体を増やして、その特徴を持った子孫を増やすのには有効だと思う。そんな訳で、クローン牛あるいはその子孫の美味い牛肉が出たら是非とも頬肉の赤ワイン煮など作ってみたいと思っているこの頃だが、遺伝子組み換え食品に関してはまた日を改めて書くことにしたい。