七月三一日(火)


 目覚めると五時十分。寝坊である。昨晩寝てから一度も途中で目覚めることなく朝となった。これは私にとっては極めて珍しいことで、風邪で具合が悪いときのみ見られる現象なので、ぐっすり眠れたことを素直に喜べないのであった。

 Mac OS Xに附いているMailというメールソフトでは、内田百?の「けん(門構えに月)」が表示できることに気がついた。森鴎外の「鴎(區に鳥)」も、「掴む(手偏に國)」も表示できる。早速、一通メールを送ってみたが、この表示ができるようになっていないメールソフトで受信すると、この「けん」の文字だけではなく、すべての文字が文字化けしてしまうということが判明した。なかなか思うようにならないものである。OSに附属しているTextEditでも表示できることが解ったが、縦書きが可能なワープロソフトではまだ一つもこれに対応しているものを見つけていない。はやく対応して欲しいものである。

 中公文庫の内田百けんの『御馳走帖』について、<新版>でないものを持っている人がいたので、新旧比較して見ると、活字の大きさが違うだけで中身には全く違いがないことが解った。何でも古いものが好きな私だが、活字は少し大きい方が目が疲れなくて嬉しい。活字が大きくなって、ページ数が二倍近くになっている。


七月三十日(月)


 早起きしてみたものの、頭痛がするので、寝直すことに。目覚めると五時十分、寝坊である。しかも、頭痛は消えていない。憂鬱な気分で出勤。それでも、やがて頭痛は消えた。

 内田百けん(門構えに月)の本をもっと読みたくなり、到頭『内田百?全集』(講談社)を今井書店に註文してしまった。二万八千円(プラス消費税)であった。すぐに発送する旨の連絡がある。

 帰るとアーティストハウスからジョン・ベレアーズ『闇にひそむ影』(三辺律子訳/一六〇〇円)が届いていた。編集の方が送ってくださったようで、ありがたいことである。


七月二九日(日)


 『東京焼盡』読み終える。次に同じ内田百けん(門構えに月)の『御馳走帖』(中公文庫)を読み始める。実は私が持っているのが<新版>で、それでも旧仮名なのであった。疑ってすまなかった、中公文庫。


七月二八日(土)


 内田百けん(門構えに月)の『東京焼盡』(中公文庫)を読み始めたらやめられなくなるが、最後までは読めなかった。夕方、何度も腹痛に襲われ、横になるたびに眠ってしまうからだ。これは人から借りた本なので、一冊手元においておきたいと思い、オンライン書店で検索してみたが出てこない。中公文庫からは三冊内田百けんが出ていた筈だが、今は<新版>というのが二冊入手できるだけのようである。まさか、新版って新仮名にしたのではあるまいね。百けんを新仮名にするなど冒涜といっても過言ではあるまい。


七月二七日(金)


 bk1から『明治の文学第十二巻 幸田露伴』が、岩波書店から『漱石全集第十二巻 小品』『同第二二巻 書簡 上』が届く。三冊とも歴史的仮名遣いなので嬉しい。それにしても、よくあれだけの書簡が残っているものである。

 早川書房からロバート・ジョーダン『竜王戴冠3 旅の大道芸人』(斉藤伯好訳//六二〇円ハヤカワ文庫FT)が届く。いつか送ってはもらえると思っていたが、もう先週買って読んでしまったものが届けられると少し寂しい。


七月二六日(木)


 SFマガジン九月号着。ロシアSF小特集ほか。自分の文章に「我侭」という文字を見つけて悲しくなる。「我儘」と書いたつもりだったのだが。


七月二五日(水)


 Sharon Shinn SUMMERS AT CASTLE AUBURN (2001)を105頁まで読んだところで、読み進めるのを断念する。甘すぎてちょっとつらい。もっと先まで読めば違う展開になるのだろうか。


七月二四日(火)


 仕事から帰る途中で寄った古本屋で、柳田國男『食物と心臓』(創元社)を五八〇円で購入。昭和十六年刊行の本で、旧字旧仮名。


七月二三日(月)


 毎日暑い。暑さが苦手な私には辛い日々である。我が家では毎日のように朝顔が如何にも夏らしい花を咲かせているが、私はまだ二つほどしかその花を見ていない。私が朝家を出る時間にはまだ花を咲かせていないからだ。食虫植物の方は、蝿取り草の方がやや夏バテ気味、意外に元気なのが毛氈苔で朝顔の鉢の間で粘液を煌めかせている。


七月二二日(日)


 長尾誠夫『神隠しの村』を読む。柳田国男が登場人物として出てくる。ホームズを真似た推理をしてみせる柳田国男が、神隠しにあったという子供たちの行方を調査する話として始まるのだが、次第に事態は幻想と怪奇の雰囲気を強くしていき、そして最後にはさらに一捻りされているという本。途中までは楽しく読んだのだが、結局結末では何だかよく解らなくなってしまった。私の頭が悪いのだろうか。

 続けて、 ロバート・ジョーダン『竜王戴冠3 旅の大道芸人』を読む。これはいつもの時の車輪シリーズだ。

 夕方からSFマガジン十月号のファンタジイ評の原稿を書いて送信。今回は子供向け翻訳ファンタジイばかり。ハリー・ポッター現象なので仕方がない。今はそういう時期なのだ。

 『神隠しの村』を読んで、俄に柳田国男の『遠野物語』が読みたくなり、bk1に本を註文する。
『柳田国男全集2 遠野物語 時代ト農政 山島民譚集』(筑摩書房/六八〇〇円)
『明治の文学第十二巻 幸田露伴』(筑摩書房/二四〇〇円)
『幸田文全集〈第一巻〉父・こんなこと』(岩波書店/三八〇〇円)
カマ・カマンダ『漆黒の王子 アフリカの吟遊詩人=グリオ36の物語』(高野優監訳/バベル・プレス/一八〇〇円)
以上四冊。柳田国男全集は高い。これで旧仮名でなかったらどうしよう。今回は『明治の文学』からは幸田露伴を。すると娘の方の本も買いたくなったという訳だ。収録作品を調べてみると旧仮名だったので、本文もそうだろう。


七月二一日(土)


 昨日、bk1から国立国語研究所編集『「ことば」を調べる考える』と文化庁文化部国語課編『国語に関する世論調査 平成12年度』が届いたことを書くのを忘れていた。『意識調査』を買ったのは平成九年度版以来二度目である。今年は「言葉への意識」「挨拶」「言葉遣いへの影響」「敬語」「外来語」「共通語と方言」などが中心に質問が設定されている。私の目をひいたのは何といっても「ら抜き言葉」である。「食べられる」と「考えられる」が質問に選ばれている。今回の調査結果によると「食べレナイ」が凡そ25%、「考えレナイ」が凡そ6%の人が使うと答えているという。地域別に見ると関東で「ら抜き言葉」の使用頻度が低いことが解る。以前から関東南部で最も使用頻度が低いことが知られているから驚くことではないが、それに次いで低いのが近畿地方であるのはちょっと意外だった。九州では「食べられない」が60.4%であるのに対し「食べレナイ」が29%という結果になっている(両方使うと答えた人が約10%いる)。九州全域での言葉遣いのことはよく知らないが、私が八年前から住んでいる福岡市では両者の比は8:2くらいの印象である。こういう調査でアンケートに答えるとき、人は必ずしも真実を答えるとは限らない。少しでも所謂「ら抜き言葉」が近頃の言葉の乱れとして指摘されていることを知っている人なら、「正しい」といわれている方を選んだりしてしまうこともあろう。それは、敬語の質問で、別に何の問題もない敬語を間違った用法として指摘してしまうところにも、質問の目的を先取りしようとしてそれに対する答えを用意してしまう心理が見えるような気がするのだがどうだろう。もう一つ気になったのは、「食べられない」「考えられない」のどちらにおいても「ら抜き言葉」の使用者の割合が僅かとはいえ減少したこと。まあ、1%くらいの変化なので誤差の範囲内だろうが。この「ら抜き言葉」への移行は決して止まって逆戻りすることはないと私は思う。
 同書の中で「相手チームにはもう一点もやれない/もう一点もあげられない」のどちらを使うかという質問があったが、「もう一点もあげれない」と云う人はどう答えたのだろうか。気になって仕方がない。

 日本語入力プログラムEGBRIDGE 12と日本語ワープロEGWORD PURE 6.0の無料アップグレードのCD-ROMが届いた。早速インストール。これで、MacOS Xで安心して歴史的仮名遣いの仮名漢字変換ができるというものだ。EGWORD PUREの方も問題なく動くようだ。

 ポール・スチュワート『崖の国物語1 深森をこえて』とクリフ・マクニッシュ『レイチェルと滅びの呪文』を読む。前者は全く期待せずに読み始めたせいか、なかなか楽しく読み進めることができた。異世界が魅力的に仕上がっている。しかし、話は最後には父親探しに落ち着いてしまって些かがっかり。後者は、読み終わってから、前に買ったTHE DOOMSPELLの邦訳であることに気がついた。邪悪な魔女がよい。が、邪悪さが足りない。児童書ではこれくらいが限度なのだろうか。

 岩波書店のオンライン販売に『漱石全集第十二巻 小品』(三四九五円)と『同第二二巻 書簡 上』(三四九五円)を註文。どちらもいつも使っているようなオンライン書店では品切れの表示だったのだが、版元では註文できたようだ。


七月二十日(金)


 今日は祝日。しかも午前中は職場で二時間停電があると聞いていたので、朝は遅くまで寝ていて昼から出勤。すると、今日は停電がなかったと解る。騙された。

 帰りに丸善に寄って本を買う。
長尾誠夫『神隠しの村』(桜桃書房/一九〇〇円)
ロバート・ジョーダン『竜王戴冠3 旅の大道芸人』(斉藤伯好訳//六二〇円ハヤカワ文庫FT)
以上二冊。ジョーダンのは、いつもは送ってもらえるのだけれども、今月はなぜか届かない。SFマガジンの締め切りに間に合わないと困るので買っておく。


七月十九日(木)その2


 ふと気づくと一日日付がずれている。どこで間違えたのだろうか。ということで、今日は二回目の木曜日。

 bk1から本が届く。
 ポール・スチュワート『崖の国物語1 深森をこえて』、ディック・キング=スミス『奇跡の子』、クリフ・マクニッシュ『レイチェルと滅びの呪文』、P・L・トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ(新版)』、P・L・トラヴァース『帰ってきたメアリー・ポピンズ(新版)』である。『メアリー・ポピンズ』は早速娘に。

 どうも気分が沈みがちなので、町田康『くっすん大黒』(文藝春秋/一四二九円)を借りて読む。少しだけ気分がよくなる。


七月十九日(木)


 また歴史的仮名遣いについて。「官位(くゎんゐ)」とか「頑固(ぐゎんこ)」をどうするかということを考えると、これらは漢字音の表記にしか表れないので、仮名漢字変換においては「かんい」と書こうが「くゎんゐ」と書こうが「官位」という文字が出てくることに変わりない。だからそんな表記は気にすることはないような気もするが、「女(をんな)」を変換辞書に登録しておくならば、これも無視できまい。「くゎ」にするか「くわ」にするかというところも少し迷うが、私は「しゃ」とか「ぢゃ」はそのまま表記し、「しや」とか「ぢや」とは書かないことにするつもりなので、ここは「くゎ」とすることにしよう。次にローマ字入力をどうするかという問題が生じてくるが、私が使っているEGBridge12ではローマ字表記も自由に編集できるので、「kwa」で「くゎ」、「gwa」で「ぐゎ」が書けるように変更する(初期設定ではそれぞれ「くぁ」と「ぐぁ」)。

 ここ数日、こんなことばかり考えている。


七月十八日(水)


 歴史的仮名遣ひについて、このページをぜひ歴史的仮名遣いで書いてほしいというメールを一通いただいた。思い切って八月から歴史的仮名遣ひで書くことにしようか。そんなことしたらもうこのページは読まないよという方がいらっしゃったらぜひメールでお知らせ願いたい。

 という訳で、この頃、無闇に歴史的仮名遣いの本を買いたくてたまらなくなっている。手っ取り早いのが古い作家の全集である。文庫に収録されているようなものには最早旧仮名はほとんど見られないが、ハードカバーの全集ではまだまだ歴史的仮名遣いを読むことができる。欠点は、大きくて場所を取るということと値段が高いということだ。


七月十七日(火)


 ラルフ・イーザウ『ネシャン・サーガ2 第七代裁き司の謎』を読んでいるのだが、これは長すぎる。読み進めるのが次第に苦痛になってくる。


七月十六日(月)


 歴史的仮名遣いが快適になって喜んでいたのだが、ふとMailというアプリケーションがハードディスク上に二つあることに気づき、古い方を削除したところ、表示が全部英語になってしまった。随分前に一度書いたように、私のMac OS Xは今ドイツ語表示になっているのだ。Internet Explorerだってドイツ語で表示されるというのに。何故だ。


七月十五日(日)


 二週間ほど前からMac OS Xで使っているEGBridgeが使えなくなって変だなと思っていたのだが、よくよく調べてみれば、これはOS X用の試用版で有効期限が六月末日だったのだ。だから、使えなくなるのは当たり前だ。しかし、正式版が出るのは七月二七日、それまでどうすればよいのか、という怒りと不安と恐怖がこみあげてきた。この二週間は「ことえり」を使っていたのだが、やはり使いにくい。私の旧仮名辞書も使えない。何しろ「ことえり」では、動詞の単語登録ができないのだから。一体全体どういうことだろう、動詞の登録ができないなんて。悩んだ末、エルゴソフトのホームページを訪れて、Mac OS X用の体験版というのをダウンロードした。これで、以前作った旧仮名辞書も使えるようになった。快適に仮名漢字変換ができるのは、本当に気分がいい。

 歴史的仮名遣いなんてどこで使っているのかねと疑問をお抱きの読者の方もいらっしゃるだろう。この際、このページも全文歴史的仮名遣いにしようかと思ったこともあるのだが、やめておいた。若い人に読めなかったりするかも知れないから。今は、ごく親しい人へのメールにのみ用いている。あ、私はいつも旧仮名のメールを貰っているという方は、私に親しいと思われてしまっている訳で、それが不愉快だったら「新仮名希望」というメールを出してくれれば現代仮名遣いにしますけどね、悲しいからそういうことはして欲しくないと思います。私も歴史的仮名遣いのメールが欲しいという人は、「旧仮名希望」というメールをください。なるべくご希望に沿えるように努力してみます。

 今、使っている旧仮名辞書はまだまだ満足のいくものではない。これをもっと充実させると同時に、旧字変換辞書や候文変換辞書の作成も企んでいるのだが、完成することはないだろう。

 夕方から激しい雨。その中をやって来たのがbk1からの本二冊。『明治の文学第8巻 泉鏡花』『稲垣足穂全集3 ヴァニラとマニラ』である。どうして足穂全集は旧仮名ではないのだろう。


七月十四日(土)


 キャロル・マタス&ペリー・ノーデルマン『スクランブル・マインド 時空の扉 』読了。心に思い描く世界を現実のものにできるお姫さまと、人の心を覗くことのできる王子さまの冒険物語。途中で二人は異世界へと飛ばされるのだが、その世界はなかなか魅力的な設定に思えるにもかかわらず、物語としては実に物足りない。描写や話の展開があまりにも子供っぽいせいか。

 bk1に本を註文。
ポール・スチュワート『崖の国物語1 深森をこえて』(唐沢則幸訳/一六〇〇円/ポプラ社)
ディック・キング=スミス『奇跡の子』(さくまゆみこ訳/一五〇〇円/講談社)
クリフ・マクニッシュ『レイチェルと滅びの呪文』(金原瑞人訳/一五〇〇円/理論社)
P・L・トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ(新版)』(林容吉訳/七二〇円/岩波少年文庫052)
P・L・トラヴァース『帰ってきたメアリー・ポピンズ(新版)』(林容吉訳/七六〇円/岩波少年文庫053)
 その他、機器分析の本を一冊。〈メアリー・ポピンズ〉は娘のために。頼まれた訳ではなく、私が勝手に与えるもの。

 言語八月号が届いていた。数日前のことだが、最早正確な日にちは思い出せない。特集はオノマトペ。


七月十三日(金)


 bk1からJ・K・ローリング『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(松岡佑子訳/一九〇〇円/静山社)が届く。これを手に取って、第四巻を全然読んでいないことを思い出す。巻を追うごとに分厚くなっていくので、読む気が失せてしまったのであった。この頃、このシリーズを意識したとしか思えない海外ファンタジイの翻訳が雨後の筍のように出版されるようになった。喜ぶべきなのだろうが、素直に喜べないのは私が素直ではないからだろうか。


七月十二日(木)


 南條竹則『猫城』読了。なかなか面白かったが、私が猫好きで、もっと酒が呑めたら尚一層面白かったのかも知れない。


七月十一日(水)


 Weinberg Booksからカタログが届いたのはこの日だったような気がする。三日もたつともうさっぱり思い出せない。机の上を見ると、先月のカタログが放置してあったりして、情けない気分になる。


七月十日(火)


 吉永達彦『古川』読了。「古川」という名の川を舞台にした幽霊譚。なかなかいい話ではあるが、私の趣味に合うほど古風でもないし、かといって心に残るほど新鮮でもない。

bk1から、キャロル・マタス&ペリー・ノーデルマン『スクランブル・マインド 時空の扉 』と南條竹則『猫城』が届く。


七月九日(月)


 桐生祐狩『夏の滴』読了。脚が再生してしまったりすると些か嘘っぽい。ある意味で子供の残酷さが生々しく描かれていると云えるのだろうが、私にはどうも馴染めないところも多い。何だか全然説明になっていない。何れにせよ、読後感はあまりよくない。

吉永達彦『古川』が、bk1から届く。


七月八日(日)


 健康的に陽の光の下で娘と躰を動かした後、もう帰りたいと駄々をこねはじめた私のせいで昼には帰宅。不健康に部屋の蛍光灯の光の下でスワヴォーミル・ムロージェク『所長』を読む。ポーランド人作家の短篇集。如何にもポーランド的な、などと書くと一体お前がポーランドの何を知っているのかと云われそうだが、何となくそういう感じがしたのでそう表現するしかない。可笑しな話もあれば、私にはどうも解らない話も入っている。特に所長の刺青をする話は可笑しかった。

 一年くらい前に送ったニール・ゲイマンのStardustの内容紹介の原稿の古びてしまった部分を書き直してSFマガジン編集部に送信。

 Amazon.co.jpに本を註文。
Meredith Ann Pierce Treasure at the Heart of the Tanglewood (¥1,991, Viking Children's Books)
Ray Vukcevich Meet Me in the Moon Room (¥1,883, Small Beer Press)
Kelly Link Stranger Things Happen (¥1,883, Small Beer Press)
Hugh Nissenson The Song of the Earth (¥2,781, Algonquin Books of Chapel Hill)
Charlaine Harris Dead Until Dark (¥705, Ace Books)
以上五冊。最初の本は、一頁も読むことなく飛行機の中に忘れてしまった本の買いなおしである。

 桐生祐狩『夏の滴』が、bk1から届く。


七月七日(土)


 出勤前にbk1に本を註文。
キャロル・マタス&ペリー・ノーデルマン『スクランブル・マインド 時空の扉 』(金原瑞人訳・代田亜香子訳/一八〇〇円/あかね書房)
南條竹則『猫城』(一五〇〇円/東京書籍)
四方田犬彦編『明治の文学第8巻 泉鏡花』(筑摩書房/二四〇〇円)
『稲垣足穂全集3 ヴァニラとマニラ』(筑摩書房/四八〇〇円)
以上四冊。昨日ふと書店で『明治の文学』を立ち読みしたときに、これが歴史的仮名遣いであることに気がついた。前にも立ち読みしたことがあるのに。とにかく、それで急に何冊か欲しくなったのだが、生憎現金が手許になく(私はほとんど現金を持ち歩かない)、こうして註文してみた訳だ。それにしても、『足穂全集』は高い。

 bk1から本が届く。 中村融・山岸真編『20世紀SF5 1980年代冬のマーケット』(九五〇円/河出文庫)と、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』、スワヴォーミル・ムロージェク『所長』、森博嗣『墜ちていく僕たち』、R・M・W・ディクソン『言語の興亡』、吉川良太郎『ペロー・ザ・キャット全仕事』である。

 早速、森博嗣『墜ちていく僕たち』を読んでみるが、何だか私にはさっぱり解らない。ラーメンを喰って性が入れ替わったということだけは解るが、一体この話はどうなっているのだ。とにかく私には理解できなかった。

 午後から、車で家から一時間半くらい離れたところにある子供向けの牧場兼遊園地のようなところにあるホテルに家族三人で一泊だけ泊まりに行く。夜には螢が沢山いるところにバス連れていってくれるという企画もあるらしい。とりあえず私は本を持って出かける。螢は数日前の大雨の影響でほとんど姿を消してしまったようで、数十匹がちらほらと飛んでいるだけ。少し騙されたような気分。尤も、私は螢にはあまり関心はないのだが。螢はつまらなかったが、本だけは読む。 アレッサンドロ・ボッファ『おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ』(中山悦子訳/河出書房新社/一八〇〇円)は面白かった。主人公ヴィスコヴィッツがさまざまな動物になって繰り返し登場、20種の動物としての生を演じなおす。説教臭い話だったらどうしようと恐れていたのだが、そんなこともなかった。


七月六日(金)


 篠永哲・林晃史『虫の味』(八坂書房/一七四七円)を読む。実に様々な虫を食べる話である。私は蝗しか食べたことがないが、ゴキブリやアメリカシロヒトリを食べたいとは思わない。


七月五日(木)


 中勘助『銀の匙』を読む。旧字旧仮名の文章に古い活字がよく合っている。このところたまっていた疲れが少しとれたかも知れない。


七月四日(水)


 bk1に本を註文。
丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス/二三〇〇円)
スワヴォーミル・ムロージェク『所長』(未知谷/二〇〇〇円)
森博嗣『墜ちていく僕たち』(集英社/一五〇〇円)
R・M・W・ディクソン『言語の興亡』(大角翠訳/岩波新書/七八〇円)
国立国語研究所編集『「ことば」を調べる考える』(財務省印刷局/三六〇円)
文化庁文化部国語課編『国語に関する世論調査 平成12年度』(財務省印刷局/一三六〇円)
吉川良太郎『ペロー・ザ・キャット全仕事』(徳間書店/一六〇〇円)
桐生祐狩『夏の滴』(角川書店/一五〇〇円)
吉永達彦『古川』(角川書店/一二〇〇円)
以上九冊。ちょっと買い過ぎたかも知れない。


七月三日(火)


 出張中に届いていた本を箱から出す。Amazon.co.jpから、
Neil Gaiman American Gods (¥2,811, William Morrow & Company)
Susan Price The Sterkarm Handshake (¥2,049, HarperCollins Children's Books)
William Sleator Marco's Millions (¥1,939, Dutton Children's Books)
Phyllis Reynolds Naylor Jade Green: A Ghost Story (¥569, Aladdin Paperbacks)
の四冊が届いていた。スーザン・クーパーの本は意外に分厚い。

 bk1からは、イアン・ワトスン『オルガスマシン』(大島豊訳/二八〇〇円/コアマガジン)が届いていた。

 HMVからは、Sigiswald Kuijken演奏の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータが。


六月二八日〜七月二日


 学会で東京へ。暑くて疲れた。持っていった本二冊のうち、松浦寿輝『巴』は何だか私にはよく解らず今一つ。Meredith Ann Pierce Treasure at the Heart of the Tanglewoodは1ページも読んでいないのに、帰りの飛行機に忘れてきてしまった。私としたことが、本を飛行機の中に忘れてくるとは。


ホームページへ戻る