3月31日(金)

 久し振りにピーター・S・ビーグルTAMSINを手に取って出勤。もう少しで終わるのになかなか終わらない。


3月30日(木)

 P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を読み返したときに、所謂「ら抜き言葉」が用いられているのに気付き愕然とした。昭和52年の本に既に出てくるとは。ただ、これは<ピンボケ>イジドアの台詞なので、彼に相応しい言葉遣いとして登場した可能性は高い。


3月29日(水)

 P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を読み返してみる。細かいところはすっかり忘れていることに気付く。過去に数回読み返しているのに。ディックは私が読み返す唯一の作家である。

 BOLbol.asia.comというのが出来ていて、香港、シンガポール、マレーシアの三店が開店していた。香港やマレーシアの本が買えるのかと思ったら、どうもイギリスの本ばかり並んでいる。アジアでイギリスの本を売る店なのだろうか。BOL日本支店はまだ開店していない。


3月28日(火)

 『時間旅行者は緑の海に漂う』をやっと読み終える。そうか、こんな話だったか。この後、すこしディックを読み返したりしてみようかと思う。


3月27日(月)

 SFマガジン五月号が届く。ハヤカワ文庫30周年記念座談会が面白い。次に自分の原稿を眺めてみると、「憚られる」を平仮名で書くと実に間抜けであることを発見してしまった。「のははばか」と文字が並んでいたので、一瞬「母は莫迦」かと思った。仮名に開かれるのなら「のは」と「憚られる」の間に読点を入れておくのだった。
 六月号の予告に私の名前が載っていた。何だか場違いのような感じで恥ずかしい。


3月26日(日)

 春休みになった娘を連れて今日から妻は十日ほど東京へ里帰り。朝一番の飛行機で二人が出ていくと部屋の中は突然静かになる。そこでSFマガジンのファンタジイ評を書く。今回は冊数が多いのだが、どれも書きにくいものばかりで苦労する。書いては休み書いては休みしながら、村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』をなぜか読んでしまう。解ったような解らないような話であった。正午頃、原稿を送信する。

 図書館流通センターに本を註文。
ローレンス・ノーフォーク『ジョン・ランプリエールの辞書』(青木純子訳/東京創元社/5000円)
アリス・ホフマン『タートル・ムーン』(深町真理子訳/早川書房/2500円)
イタロ・カルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』(米川良夫訳/河出書房新社/2200円)
の三冊。

 原稿も書いて本も註文して一安心したところで、明日からの食糧を買いに出る。妻がいないので自分で食事の用意をすることになる訳で、毎日肉を喰ってやろうという魂胆である。娘には肉ばかり食べていては駄目だよと云われたが、子供の云うことをきくような私ではない。で、ふと納豆を買いたくなっていろいろ眺めてみたら、何と遺伝子組換え大豆を使用していないという表示がどの納豆にも記してある。遺伝子組換え作物に賛成する立場の私としてはそういうものを買うことはできない。そこで、そんな表示のない納豆を探したのだが、一つもないのだった。この表示を導入するときには消費者の選択の幅を広げることは悪いことではないなどと云っていたようだが、遺伝子組換え作物の導入に賛同する者は自分の買いたいものが買えなくなったというだけのことではないか。私は夫婦喧嘩までして、遺伝子組換え飼料を使用していない乳牛からとったという表示のある牛乳を飲むのを拒否しているというのに。納豆なんか食べなくたって何の不自由も感じないから構わないが、遺伝子組換え飼料不使用の表示のある肉ばかりになったら私は一体どうすればいいのだろうかという不安を抱きながら買い物を済ませた。


3月25日(土)

 『時間旅行者は緑の海に漂う』がなかなか捗らない。SFマガジンのファンタジイ評もなかなか捗らない。特に記すこともない一日。


3月24日(金)

 SFマガジンのファンタジイ評を書き始めようとしたものの、書名を並べただけで出勤の時間となってしまう。仕方がないので、パトリック・オリアリー『時間旅行者は緑の海に漂う』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF)を手に取って出勤。P・K・ディックを感じさせる作品ということなのだが、前に読んでいるのに全く内容を覚えていないことに気付いてしまったもの。


3月23日(木)

 ロバート・ジョーダン『竜魔大戦1 忍びよる闇』読了。<時の車輪>第四部は何と八分冊になるという。刊行に16ヶ月もかかるということか。話を覚えていられないので毎月刊行にして、月一冊の他のハヤカワ文庫FTとは別枠で出して欲しいものだといくら私が書いてもどうにもならないだろうが……。八分冊の第一冊なので話に動きは全く見られない。全く動いていないのに300ページが費やされてしまうのには驚異を感じずにはいられないのである。


3月22日(水)

 『ドイル傑作選2 ホラー・SF篇』読了。二十年以上前に読んだことのある作品もあり、妙に懐かしい。

 一昨日と昨日の日本経済新聞からオンライン書店に関する記事を三つ。
図書館流通センターと日本経済新聞社グループ、アスクル(文具通販)、富士通、電通、NTTエムイー情報流通など七社が共同で書籍のインターネット通販事業を七月から始める。常時20万点の在庫を揃え、一部地域(関東・関西)では即日配達も可能にするそうだ。新会社名はブックワン。
・大日本印刷の専門書の杜では、今月27日から五月上旬まで宅配料金を無料にするそうだ。
・東日本旅客鉄道グループは4月1日から三省堂書店のインターネット通販で販売した書籍の引き渡しを行なう駅を大幅に増やす。昨年十二月から埼京線沿線の12駅で取り扱いを始めており、これを今後首都圏71駅に拡大する。


3月21日(火)

 ロバート・J・ソウヤー『フレームシフト』読了。面白い。結末では涙がこぼれそうになった。しかし、こういう遺伝子操作の話が頻繁に出てくる話は私はもう小説世界に浸って楽しむことができないようになってしまっていることが良く解った。実験操作の記述がいちいち気になって仕方がない。精製したDNAとアミノ酸配列から推定して合成したRNA分節(分節って何だ?)を反応させてどうして目的の遺伝子が第十三染色体にあると解るのかとか、DNA溶液をガラス瓶に入れる奴はいないとか。やれやれ。

 Dasacon3という会に山尾悠子が参加することが決まったと教えてもらった。が、遅すぎる。急にそんなこと知らされたって。今日決まりましたと云われたって。残念。


3月20日(月)

 今日は祝日で休みだが何の日だかよく思い出せない。何の日であっても本を読むのには差し支えないので、本を読む。ダニエル・ペナック『子ども諸君』読了。ある日、目覚めると大人と子供が入れ替わってしまう話。全世界がそうなるとSF的な状況になるのだが、これは学校の宿題で大人と子供が入れ替わったらという作文を書いた子供だけに起こる出来事を描いている。楽しい話ではあるが、幻想的な雰囲気は殆どない。続けて北原尚彦・西崎憲編『ドイル傑作選2 ホラー・SF篇』を読み始める。三時頃、この本を持って職場にちょっと行って用事を済ませて帰ってきたら、本が届いていた。ロバート・J・ソウヤー『フレームシフト』(内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF1304/880円)、キャサリン・アサロ『稲妻よ、聖なる星をめざせ!』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF1305/880円)、ロバート・ジョーダン『竜魔大戦1 忍びよる闇』(斉藤伯好訳/ハヤカワ文庫FT272/600円)の三冊。内田さん、中原さん、ありがとう! ドイルがまだ150ページなのだけれど、我慢できず『フレームシフト』に手を出してしまう。勿論、ドイルだって格段に面白いのだけれど。


3月19日(日)

 赤江瀑『星踊る綺羅の鳴く川』読了。実は赤江瀑は初めて読んだ。十数年前に薦められたことがあるのだが、読む機会がないまま今まで過ごしてきたのであった。これが赤江瀑か。魔術的な文章は確かに素晴らしい。が、登場人物が喋る台詞の妙な仮名遣いは一体何だ。気になって仕方がない。躰と書いたり体と書いたりするのもどうも落ち着かない。使い分けているのだろうか。

 アンジェラ・カーター『シンデレラあるいは母親の霊魂』を読み終える。ここにも民間説話を別の視点から語り直す作品が幾つか収録されている。『夜ごとのサーカス』を早く読みたくなった。

 夕方、娘と二人で『トイ・ストーリー2』を観に行く。いつも映画は朝一番で観るのだが、私が行く映画館ではこの映画の字幕版は夕方からしかやらないのであった。早めに行って入口で待っていると、前の吹替え版の客が出てきて、それが八割程度が子供連れの家族客。さぞかし騒がしかったであろうと思われる。字幕版の方は客が少ない上に子供連れは数える程度しかいない。若い男女の二人一組が八割程度、その他、若い女性二人組、一人というのは僅かに混ざっているといった感じである。で、廊下で待っていると彼らは皆、床に座り込む。立っているのは家族連れのみ。一組だけ若い女性二人が立っていたが、若者は悉く床に座り込むのだった。映画の方は予想よりも面白かった。大抵『〜2』というものは前作よりもつまらないという場合が多いが、これは珍しく続編の方が面白い。娘も前よりも面白がっていた。尤もそれは前よりも字幕がよく読めるようになったからかも知れないが。今回も娘は吹替え版の方がいいと思っていたようだが、あんなところに行ったら子供ばかりで煩くてかなわないぞと無理やり字幕版を見せてしまう。云ってから気付いたが、娘も子供だった。


3月18日(土)

 『銃、ときどき音楽』を読み終える。こういう私立探偵がでてくる話は大好きである。でも、私立探偵が出てくれば何でもいいという訳ではなく、SFやファンタジイに私立探偵が出てくるものが好きなので、そういう作品には滅多に出会うことはない。もっと早く読めばよかった。ただ、「耳ざわりがいい」は私にとってはどうにも受け入れがたい表現である。「肌触りがいい」なら解るが、「耳触り」なんて。「耳障り」なら知っているけれど。「目ざわりがいい」と同じくらい不可解な表現である。

 ドナ・ジョー・ナポリ『逃れの森の魔女』も読み終える。シンデレラを題材に視点を変えて語り直した作品である。これがまた私が好きな形なので楽しく読めた。

 東京創元社からジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』(内田昌之訳/創元SF文庫/980円)が届く。面白そうだが、先に読まねばならない本が沢山あるのですぐには読めまい。


3月17日(金)

 早起きができない上に、一日中断続的に激しい眠気に襲われる。『銃、ときどき音楽』は面白いのに眠気に邪魔されて中々捗らない。


3月16日(木)

 日経Mac三月号が届く。註文したのに届かなかったことに関する丁寧な詫び状が同封されていて恐縮する。私が住所を書き間違えたのがいけなかったのです、ごめんなさい。内容の方は、あまり新しい知識を得ることができず些か残念だった。

 図書館流通センターから本が届く。在庫有りの六冊:北原尚彦・西崎憲編『ドイル傑作選2 ホラー・SF篇』、アンジェラ・カーター『シンデレラあるいは母親の霊魂』、村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』、ドナ・ジョー・ナポリ『逃れの森の魔女』、赤江瀑『星踊る綺羅の鳴く川』、ダニエル・ペナック『子ども諸君』である。今月も後半に入り、とうとうビーグルのTAMSINを読み終える前に日本語図書週間に突入してしまった。なんということだ。


3月15日(水)

 日経BP社のオンライン書店で日経Mac三月号を註文したのにどうして届かないのだろうかと思っていたら、私が自分の住所を書き間違えていたのだった。勤務先の住所と自宅の住所が混ざった変な住所を記入してしまったようだ。一昨日は、自動車保険会社に電話をした時に担当者が別の電話で話し中だったため折り返し電話をかけるようにするから電話番号を教えてくれと云われ、自分の電話番号がどうしても思い出せないということがあった。職場の電話番号や三年前に変更になる前の古い番号などが頭に浮かぶものの、今の自分の家の電話番号がどうしても思い出せず、妻に訊ねてやっと思い出した。自分の住所や電話番号が解らなくなるとは、とうとう私もおしまいかとすっかり落ち込んでしまう。


3月14日(火)

 昨日買った本の一覧から北原尚彦・西崎憲編『ドイル傑作選2 ホラー・SF篇』(翔泳社/2500円)が抜けていた。買いのがしたのかと思って驚いた。

 K・W・ジーター『ダーク・シーカー』読了。結末はかなりどきどきしてページを捲ってしまった。とにかく、全然ディックに似ていない。薬の影響で現実と幻の世界の境界があやふやになるというところだけは似ていると云えない訳ではないが。ディックは猟奇殺人者を描いたりはしない。ディックは読み終えると、とにかくもうちょっと頑張って生きていこうという気になるが、これは別にそんな気になれないし。次はジョナサン・レセム『銃、ときどき音楽』を読まねば。


3月13日(月)

 図書館流通センターに本を註文。
アンジェラ・カーター『シンデレラあるいは母親の霊魂』(富士川義之・兼武道子訳/筑摩書房/1800円)
村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社/1300円)
ドナ・ジョー・ナポリ『逃れの森の魔女』(金原瑞人・久慈美貴訳 /青山出版社/1400円)
赤江瀑『星踊る綺羅の鳴く川』(講談社/1600円)
筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文芸春秋/1333円)
ダニエル・ペナック『子ども諸君』(平岡敦訳/白水社/2200円)
K・W・ジーター『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』(浅倉久志訳/早川書房/1748円)
K・W・ジーター『ブレードランナー3 レプリカントの夜』(大野晶子訳/早川書房/2000円)
田淵純一『オヂがパソコンを買うという暴挙』(アスキー/1280円)
『サポートセンター怒濤の日々』(ローカス/角川書店発売/1500円)
以上十冊。ジーターのはディック関連で買い逃していた本ということで。最後の二冊はパソコン関連図書。『オヂが……』の方はMacPowerという雑誌に連載されているものを纏めたもの。既に読んでいる部分が多いが、この人の文章は面白いので買っておくことに。最後のは、人の無知を笑う本なのでそういう態度は気に入らないものの、やはり面白そうなのでつい……。


3月12日(日)

 ディック関係の本を探して書棚を漁ってみたら、殆ど埼玉の方に置いてあることに気付き愕然とする。昼前から家族三人で図書館に行ったのでそこでディック関連の本を探してみたが、全然ないことが判明した。帰宅してからとりあえずK・W・ジーター『ダーク・シーカー』を読み始める。


3月10・11日(金・土)

 ある財団の研究奨励金贈呈式に出席。その後、幻想的Macの人たち(何のことだ?)に会ったりする。『見えない蜘蛛の巣』は読み終えた(楽しく読んだがこの分野の本を自ら買い求めて読んでいく余裕は今の私にはない。結末の色覚異常の遺伝的考察で親子関係を確認する方法に疑問を感じてしまった)が、ビーグルのTAMSINはあまり捗らなかった。遅すぎる!
 書店を見て回るが荷物が重くなるのが嫌なので、幻想文学57号だけ買って福岡へ戻る。


3月9日(木)

 明日は東京へ出張なので読む本を選ばなければ。一泊だからピーター・S・ビーグルのTAMSINとシャーロット・アームストロング『見えない蜘蛛の巣』にしよう。ビーグルはもう読み終えなければならないところである。

 SFマガジン六月号のディック特集の原稿の依頼があり、驚愕する。この私がディック! ディックは好きだから殆ど読んではいるが。驚きながらも、原稿依頼を断る筈はない。

 SFマガジンといえば、今日の日本経済新聞の最終面の<文化往来>という欄に、SFM臨時増刊号<SFが読みたい! 2000年版>のことが書いてあった。業界を挙げてSF復調の動きを盛り上げようとしているということを臨時増刊号を紹介しながら書いている短い文章である。かえってSFってそんなに元気がないのかと思ってしまうような文章ではないか、と思った。


3月8日(水)

 昨日職場にiMacが二台入ってきて、LC630とIIciが失業の危機に陥る。我が家で養ってやってもよいのだが、ハードディスクを入れ替えたりEthernet Cardを入れたりメモリを増設したりしてもう一仕事してもらうことに。一日中旧型Macの世話をしていたら本来の私の仕事ができなくなってしまった。一体何やってんだか。


3月7日(火)

 Weinberg Booksからカタログが届く。Ash-Tree Pressの本が買いたくなる。Arkham Houseでは、先月出たSIXTY YEARS OF ARKHAM HOUSEと五月刊行予定のARKHAM'S MASTERS OF HORRORとを混同している人がいるけれども、別のものだから間違えないようにという説明がある。Arkham Houseの本は何十冊と持っているけれども、読んだことがあるのはジェイムズ・P・ブレイロックのLORD KELVIN'S MACHINEだけだ。でも、Arkham Houseだから仕方あるまい。そういえばこの頃アメリカの書店に本を註文していないような気がする。そろそろ買わねば。


3月6日(月)

 シャーロット・アームストロング『見えない蜘蛛の巣』(安野玲訳/小学館文庫/657円)を訳者から頂く。どうもありがとう。こういう本は自分で買って読む機会が殆どないので、誰かからもらわないと読めないのだった。


3月5日(日)

 HMVに先週註文したバッハのオルガン曲集CHORALS DE NOELが届いた。Lionel Roggの演奏。1966年の収録なので少々古い。『バッハ全集』刊行中は一切他の音楽CDは買わないと決めていたので、『全集』以外のCDを買うのは五年ぶりくらいだろうか。嬉しくなって一日中バッハのオルガン曲を聴く。


3月4日(土)

 今日は職場で朝九時からの停電が予定されているので出勤しない。その他、娘の学校の授業参観があるので行ってみたら授業の参観ではなく、親子の集いとかいう下らない企画があるのだった。娘が来て欲しいと云ったので仕方なく行った訳だが、騙された。それから、先日書いた娘の名前の由来について山尾悠子の文章を褒め称えた文章は、実は娘は長すぎて言葉もよく判らず担任の先生に読んでもらって三行に纏めたことが判明。あれほど先生には見せるなと云ったのに。巧く纏めてあると感心して損した。

 大学の仕事の関係で『授業を変えれば大学は変わる』と『分数ができない大学生』を読む。ピーター・S・ビーグルを読みたいのに。読み終えてから授業評価アンケートの案など作ってみる。pdf形式のファイルにして電子メールに添付して送ろうと思ったら、うまくpdfにならずちょっと苛つく。私は研究だけして暮らしていたいのに。嫌な時代になったものだ。


3月3日(金)

 SFマガジン臨時増刊号<2000年版 SFが読みたい!>が届く。これがSFマガジンかと目を疑う表紙である。160ページしかない。それでも、中身はどうみてもSFマガジンである。海外SFベストでは『宇宙消失』が一位とはちょっと意外。『順列都市』も読まねばと思う。『キリンヤガ』が四位に入っているのに、座談会などでは全然褒められていないのは可哀想である。ただ、私が『キリンヤガ』を一位にしているのには驚いた。「空にふれた少女」以外の話を殆ど覚えていないのだが、一位にしたことも全く覚えていなかった。記憶力の衰えの激しいこの頃である。


3月2日(木)

 三月に入った途端に暖かくなって来た。春眠暁を覚えずという言葉があるらしいが、快適な眠りを貪れる春と秋は私も寝坊をしてしまう。という訳でここ三月に入ってからは目覚めるともう五時、食事を摂って出勤する時間しか残っていないのであった。


3月1日(水)

 外出と買い物が大嫌いなのでインターネットを使った買い物がいろいろ出来るようになってきたことは実に喜ばしい。私は殆ど本とコンピュータしか買っていなかったのだが、髭剃りとかプリンターのトナーとか自動車保険とかこの頃買い物の幅が広がってきている。尤も、自動車保険は最終的には郵送で書類を送る必要はある。今回、保険の支払額が昨年に比べて半額以下になりそうなので、それで中古Macintoshでも買えるのではないかと密かに期待しているのだった。それにしても、日経Mac三月号がなかなか届かないのが心配だ。


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