九月二九・三〇日〜十月一日


 どうも体調が悪く、本が読めない。学会の間も頭痛に襲われてしまう。THERE AND BACK AGAINは二〇ページ残したまま帰宅。


九月二八日(木)


 パソQから64MBメモリが届く。しかし、MacOS Xはまだ手元に届かない。

 明日から二泊三日で大阪に出張。学会である。帰ってくるまでに、パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAINだけは読み終えねば、と思う。


九月二七日(水)


 Amazon.com Booksから本が届く。
"Bookstore : The Life and Times of Jeannette Watson and Books & Co." by Lynne Tillman ($17.50)
"Dreamside" by Graham Joyce ($16.76)
"The Perseids and Other Stories" by Robert Charles Wilson ($16.06)
"Baby Is Three : The Complete Stories of Theodore Sturgeon, Vol 6" ($21.00)
の四冊。この内、読みそうにないのが二冊。


九月二六日(火)


 bk1に本を註文する。
瀬名秀明『八月の博物館』(一六〇〇円/角川書店)
J・R・R・トールキン『ホビットの冒険 上(新版)』(七二〇円/岩波少年文庫058)
J・R・R・トールキン『ホビットの冒険 下(新版)』(六八〇円/岩波少年文庫059)
山口明穂『日本語を考える 移りかわる言葉の機構』(二八〇〇円/東京大学出版会)
井上史雄『日本語の値段』(一六〇〇円/大修館書店)
以上五冊。『八月の博物館』は未だ出ていない本で、予約註文。トールキンのは既に持っているのではあるが、埼玉の方に置いているので手元になく、パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAINを読むときに参照にしたくなるのでこれを機会に<新版>とやらを買っておこうと思ったので。


九月二五日(月)


 急いで家に帰るとSFマガジン十一月号が届いている。<秋のファンタジイ特集>である。表紙に「監修:中野善夫」と書いてあるのを見て些か驚く。特集の中でまだ読んでいないニール・ゲイマンの作品から読み始める。これだけは作品を訳者の柳下毅一郎氏が選んでいる。結構ほのぼのとした話だ。デリア・シャーマン、ナロ・ホプキンスン、ケリー・リンク、リサ・ゴールドスタインと並んでいるのを読む。私がこんなにSFマガジンに載っている小説を読むのは珍しい。ゴールドスタインは中野善夫訳だ。翻訳までできて本当に嬉しい。特集解説を読んで驚いた。文章が下手だ。どうも私の文章は文と文の繋ぎがぎこちないのではなかろうか。
 ということで、SFマガジン十一月号を是非買ってください。

 小森陽一『小森陽一ニホン語に出会う』を読み終える。前半は面白かったが、後半の国語の授業の話の部分はどうも読みづらい。内容は別に難解な訳ではないのだが、自分の国語の授業の不愉快な思い出が甦るからか。

 bk1からカズオ・イシグロの『日の名残り』(土屋政雄訳/中公文庫/六八六円)と『浮世の画家』(飛田茂雄訳/中公文庫/五八三円)が届く。発送の連絡があってから、四・五日もかかっている。何故だろう。


九月二四日(日)


 ロバート・アスプリン『魔法探偵、総員出動!』とロバート・ジョーダン『竜魔戦記4 聖都ルイディーン』と多和田葉子『光とゼラチンのライプチッヒ』を読む。アスプリンのは、<マジカルランド>の一冊だが、シリーズの主人公スキーヴの登場しない巻で、どうみてもこのシリーズにとって存在する価値のない余計な一冊としか思えない。『竜魔戦記4』は、やっと登場人物達が積極的に動くようになったが、話は殆ど登場人物の移動の場面である。それでもアスプリンよりは面白かったりするのだ。多和田葉子は、私にはどうもよく解らなかった。

 夜、SFマガジンのファンタジイ評の原稿を書いて、送信。


九月二三日(土)


 キース・ロバーツ『パヴァーヌ』を読み終える。イギリスのドーセット地方に行ってみたくなる。

 フィリップ・プルマン『ぼく、ネズミだったの!』を読み終える。対象年齢がちょっと低いせいか少々物足りない。<ライラの冒険>第三部は一体どうなっているのだ。


九月二二日(金)


 IT受講カード構想には驚いた。受講券など貰って数回講習を受けても仕方あるまい。必要な人が必要に迫られれば講習など受けなくても使えるようになると思うのだが。地域振興券に輪をかけて愚かな策だと思う。職場でも「日本の国民皆がインターネットを使えるようになれって、森さんに云われたくないよね」とか「国民が皆インターネットが使えるようになった時に最後に使えるようになるのが森さんだろう」などと評判は甚だ悪いようだ。「教育改革国民会議」の「奉仕活動の義務化」にも困ったものだ。結局は「義務化」までには至らなかったようだが。奉仕活動は自らの意志で、報酬や利益を期待せずに行なってこそ意味がある筈だ。あれは強制的に集団生活をさせて共通の目的に向かって等しい苦労を共有させ集団への帰属意識を芽生えさせ集団の中で自らの意志や自由な思考を埋没させて生きていくことの安心感と心地よさを子供や若者の心と躰に注ぎ込むことが主眼に違いない。学校では学問だけを教えていればよいのに。


九月二一日(木)


 朝、出勤前にFantasy Centreに本を註文しようとしたのに、ファックス送信ができない。他のアプリケーションで手一杯だよ、という警告が出て先に進まない。諦めて出勤し、註文書を印刷してからそれをファックス機で送る。送ってから、電子メールで註文できることに気がついた。註文したものは、
Mary Elizabeth Braddon THE COLD EMBRACE (Ash-Tree Press, 2000, £26.50)
Richard Dalby (ed) HORROR FOR CHRISTMAS (Michael O'Hara, 1992, £12.00)
Arthur Machen THE LONDON ADVENTURE (Martin Secher, 1928, £25.00)
の三冊。あまり深く考えずに買っている。

 bk1から本が届く。多和田葉子『光とゼラチンのライプチッヒ』と小森陽一『小森陽一ニホン語に出会う』の二冊。


九月二〇日(水)


 小森陽一『日本語の近代』を読んで、文字言葉というものを知った。物の名の頭字の下に付けて、婉曲に表現する語。もと、女房詞として行われた。「鮓(す)もじ」「髪(か)もじ」「湯(ゆ)もじ」などがその例である。現代でも生き残っているものとして、「ひもじい」が挙げられていた。「ひだるし」の文字詞「ひもじ」が形容詞化したものだ。他にもないかと考えてみると、まず頭に浮かんだのが、「(お)めもじ」で、辞書で調べると、「【目文字】(女房詞) 会うことの謙譲語」と載っている。ついでに後方一致検索で調べると、「しゃもじ【杓文字】(「杓子」の女房詞)飯や汁などをすくう道具。特に、飯をよそう道具」が見つかった。あれは「しゃ文字」だったのか。他にはもう見つからなかった。ただ、それだけの話。


九月十九日(火)


 Fantasy Centreからカタログが届く。そろそろ何か買わねば、カタログ発送先名簿から名前を抹消されてしまうに違いない。

 MindControl for Macintosh 1.1(MindVision社から$19.95)を買ってしまった。これは起動させたいアプリケーションや書類をキーボードから呼びだすというもの。マウスやトラックパッドなどを使う頻度を減らすためのものらしい。前にも書いたが、私はマウスの操作が嫌いなので、数日使用してみて気に入ったのであった。
 数日前、マックパワーというマッキントッシュ雑誌を読んでいたら、以前マウスを使うと右腕に激痛が走るようになり、以来左手でトラックボールを動かすようになったという編集者の言葉が載っていて、私のような人が他にもいるのだと判った。

 パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAINは、半分を越えたところでちょっと休み、『パヴァーヌ』を読み始める。サンリオ版で前に読んでいるが記憶が薄れてきていたので。今週は日本語の本を読む週である。


九月十八日(月)


 私はオリンピックには殆ど関心がないのだが、朝五時のNHKニュースで結果を報じていれば、それは見ることになる。するとサッカー選手のインタビューでは「点を入れれる」などと云われてしまって、ああ見なけりゃよかった聞かなけりゃよかったと後悔する訳だ。あの選手が誰なのか私は知らない。その点、トルシエ監督のインタビューは安心して聞いていられる。日本のスポーツ選手は日本語を話せない外国人選手のみで構成すべきだ。

 早川書房から、ロバート・ジョーダン『竜魔戦記4 聖都ルイディーン』(斉藤伯好訳/六二〇円/ハヤカワ文庫FT)が届く。

 東京創元社から、デイヴィッド・アーモンド『肩胛骨は翼のなごり』(山田順子訳/一四五〇円/東京創元社)が届く。これは既に読んでいるのであった。

 bk1に本を註文。
小森陽一『小森陽一ニホン語に出会う』(大修館書店/一六〇〇円)
『イギリス新鋭作家短篇選』(柴田元幸訳/一二六二円/新潮社)
カズオ・イシグロ『日の名残り』(土屋政雄訳/中公文庫/六八六円)
カズオ・イシグロ『浮世の画家』(飛田茂雄訳/中公文庫/五八三円)
多和田葉子『光とゼラチンのライプチッヒ』(講談社/一七〇〇円)
以上五冊。

 このbk1からは購入した書籍代の請求が全然来ないなあと思っていたら、今月のクレジットカードの請求に二箇月分まとめて入っていた。これは厳しい。勿論、支払う総額に違いはないのだが、纏めて来られると眩暈がする思いである。


九月十七日(日)


 SFマガジンにニーナ・キリキ・ホフマンのA RED HEART OF MEMORIESを紹介する原稿を書こうと思ったのに、十五行くらいしか書けなかった。隣の部屋で電子レンジを使うとモニタの画面が揺れる。それで、一旦中断したら二度と再開しなかったということで、もちろん電子レンジを使った人が悪いのではなく私が悪い。で、中断してから言語十月号を読んでいたら、腰を抜かすほど驚いた。例文として出てくる文の中に所謂「ら抜き言葉」が出てきたのである。「シャツに縮まれて、着れなくなった」という文である。もう、私には安心して読める文章は残されていないのか。古い文章だけ読んで生きていくという訳にもいかないだろうか。


九月十六日(土)


 二時半頃、激しい風の音で目が覚める。ベランダに置いてある軽いものを部屋の中へ入れて、また寝ようと思ったものの、煩くて眠れず、そのまま朝まで起きてしまう。

 たいした用もないのに職場へ行ってから、丸善福岡店へ。
キース・ロバーツ『パヴァーヌ』(越智道雄訳/扶桑社/一四二九円)
藤岡啓介『翻訳は文化である』(丸善ライブラリー/七八〇円)
東郷雄二『文科系必修研究生活』(夏目書房/一九〇〇円)
の三冊を購入。『パヴァーヌ』bk1から、版元から取り寄せできませんという連絡が来たので。『翻訳は文化である』は、何となく買ってしまったのだが、「翻訳は文化である」ということが私にはあまり伝わってこなかった。役に立たないといいながらも、翻訳の話なのでそれなりに楽しく読む。とにかく、もっと翻訳をしようという気分にはなれる。『文科系必修研究生活』は、別に私がこれから文科系の学問で研究生活を送るつもりがある訳でもなく、生物科学という本業以外の文章を書くときに何か役に立ちそうな気がして買ったもの。読んでみるとあまり役立つこともなく、論文を書くという作業は理科系も文科系も違いはないということが確認できた程度。

 bk1から川成洋『大学崩壊!』(宝島社新書/七〇〇円)が届いたので読んだ。これは酷い。私の勤めているところはこれほどではない(と思いたい)。こういう日本の大学をどうにかしようという気力は私にはないので、別の道はないだろうかなどと思ってしまうのであった。


九月十五日(金)


 小森陽一『日本語の近代』を読んでしまった。この頃、パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAINが捗らなくて困っている。先に記したように、読み始めたときは面白くて仕方がなかったのだが、半分近くまで読んだ今はあまり楽しくない。この後、また楽しくなればよいのだが。さて、『日本語の近代』は、日本が近代国家としての体制を整えると同時に造られてきた「国語」というものと、「言文一致運動」や日本の植民地政策との関連が何だか少し判ってきたような気がしてなかなか興味深かった。当用漢字や現代仮名遣いについても。

 今日は実はフィリップ・プルマン『ぼく、ネズミだったの!』を読もうと思っていたのだが、『日本語の近代』を読んでいたのでそちらに手が回らなかった。すると、その間に何と娘に先を越されてしまったのである。小学校三年生の娘に先に『ぼく、ネズミだったの!』を読まれてしまった。我が子と云えども実に悔しい。でも、先に読まれてしまったのが、『日本語の近代』でなくてよかった。


九月十四日(木)


 MacOS X public betaをどうしても手に入れたかったが、日本のアップル社では販売しないし、米国アップルのAppleStoreでは海外への発送をしてくれない。アメリカでのみ販売するらしいとか、いやオランダでは売り出したとか、イギリスでも販売が始まったとか、シンガポールでは買える(結局AppleStoreのページは米国アップルのものなので、買えなかったようだ)らしいとか、いろいろな情報が錯綜したようだが、とにかく日本では買えないことが判った。でも我慢ができないので、アメリカに住んでいる知人にお願いの電子メールを出した。数時間後に返事が来て、AppleStoreに註文し、数日後には届くので、何で日本へ送りましょうかと訊ねられた。送料は多少かかっても構わないから、できるだけ早く日本へ届く手段を使ってもらいたいという返事を出す。

 私はPowerMacintosh 9500にG3カードを挿しているのだが、アップル社ではこういう機種でのMacOS Xの動作を保証していない。でも、インストールはできるらしい。これまで、数々のアップル社で保証しないものをインストールしてきたので、そんなことは気にならない。ただ、最低128MBのメモリを要求するというのを読み、私のPowerMacの200MBのメモリ搭載量では心もとないと思い、早速64MBのメモリを一個註文する。本当は二個欲しかったのだが。パソQという通販店で一八一〇〇円、送料・消費税などを含めると合計一九八四五円だ。支払いは銀行振込。これもオンラインでできるから実に便利。手数料も安い。手続き完了のお知らせも銀行からメールで届く。数時間後には通販店から入金確認のメールを届き、今回は部屋から一歩もでることなく、購入できた。これまでは、銀行振込の場合にはわざわざ銀行まで出かけなければならなかったのが、ずいぶん便利になったものだ。

 『私の嫌いな10の言葉』読了。全くその通りだと叫びだしたくなる内容である。私がどうして日本の社会で顕著に見られる「皆で一緒にやろう」という態度が大嫌いなのかということも少し判ってきた。言葉による対話を封じ、意味のない言葉を連ねる儀式を要求し、内容のある言葉を発することを禁じるからだったのだ。私が考え感じていたことは間違ってはいなかったのだという確信がますます強まり、私はさらに偏屈な人間となって歳を重ねていきそうな予感がしてくる。

 bk1から本が届く。フィリップ・プルマン『ぼく、ネズミだったの!』(西田紀子訳/偕成社/一三〇〇円)
とJ・K・ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(松岡佑子訳/静山社/一九〇〇円)である。東京じゃあ、朝註文したら夕方には届くらしいが、福岡では随分時間がかかるものだ。

 bk1から、『パヴァーヌ』を出版社から取り寄せることができず、註文を取り消したというメールが届いた。やれやれ、書店で何度も見かけたのに買わずに我慢していたのだ。今度見かけたら忘れずに買わねば。


九月十三日(水)


 bk1から本が届いた。中島義道『私の嫌いな10の言葉』、小森陽一『日本語の近代』、池谷伊佐夫『書物の達人』、東雅夫編『少女怪談』の四冊。 『私の嫌いな10の言葉』を手に取ったらつい半分くらい読んでしまった。書いてあることの九割くらいは私が日頃感じ、考えていることと同じである。しかも、自分が感じていてもうまく表現できていなかったことが明快に言葉になっている。こういう本を読むのは実に嬉しい。この本はbk1ではよく売れているようだが、それほど多くの人がこの本に書かれていることに共感しているのだろうか。それなら、もっと日本の社会は暮らしやすい筈だが。

 MacOS X public betaのCD-ROMの販売が開始された。しかし、これが日本ではまだ買えないようなのだ。何とかして買いたい。どうにかならないものだろうか。


九月十二日(火)


 bk1から届く筈の本がまだ届かない。大雨の所為だろうか。

 植え替えた食虫植物は元気になってきた。もっと早く植え替えてやればよかった。


九月十一日(月)


 SFマガジンで使う書影用の本を宅配便で送ろうと思って職場の近くのクリーニング屋に行ったら、何と店じまいしており、シャッターが降りた状態。もう営業を止めましたとの貼紙が。一旦は職場へ戻る。年配の人に近所で宅配便を送れるところはないかと訊ねると、電話すれば取りに来るし、ここにもう用紙を用意してあるから電話すればどうかと親切に云ってくれる。しかし、SFマガジン編集部への荷物はやはり職場からは送りづらい。いや、それはちょっと……と云ったら、最近出来たセブンイレブンなどはどうかと教えてくれた。そうだったそんなものが出来ていたのだったと再度出かけて無事発送。前のクリーニング屋は、宅配便の荷物を扱うのが不愉快だというような顔をされて、甚だ気分が悪かったのだが、こちらは愛想が良く気分もいい。やはりあの無愛想な態度で客を失ったのでろう。

 東京創元社から、平井呈一『真夜中の檻』(創元推理文庫/八〇〇円)が届く。驚くべき本である。小説二篇で全体のほぼ半分、残りは怪奇小説に関するエッセイを集めている。


九月十日(日)


 書棚の整理がほぼ終わったところに、SFMのゴールドスタインの翻訳のゲラが届く。恐ろしく間抜けな勘違いをしているところなどが発覚し、恐れ戦(おのの)きながら訂正箇所を列挙して電子メールで送る。

 bk1に本を註文。
フィリップ・プルマン『ぼく、ネズミだったの!』(西田紀子訳/偕成社/一三〇〇円)
中島義道『私の嫌いな10の言葉』(新潮社/一二〇〇円)
小森陽一『日本語の近代』(岩波書店/二三〇〇円)
池谷伊佐夫『書物の達人』(東京書籍/二三〇〇円)
東雅夫編『少女怪談』(学研M文庫/五九〇円)
以上五冊。
 プルマンのI WAS A RAT!の翻訳がもう出てしまうとは。今年の二月に刊行されたばかりの作品なのに。原書で買って損した。池谷伊佐夫は『東京古書店グラフィティ』などを書いている人。『少女怪談』には、山尾悠子の作品が載っているらしい、ということで購入。


九月九日(土)


 午前中は書棚の組み立て。二つ並べると如何にもたっぷり本が並べられそうでますます嬉しくなってくる。棚板も少し厚めで、しっかりしていて簡単には撓(たわ)まないと思われる。暫くうっとりと眺めてから、少しずつ本を並べ始める。本当は、随所に注入してある接着剤が完全に乾くまで待った方がいいのだろうが、気の短い私はそんなに待てない。少しは内容ごとに棚を分類したいななどと思ったのがいけなかった。深夜までやっても終わらない。日付が変わったので、風呂に入って寝ることにする。


九月八日(金)


 先月の二四日に註文した書棚が届いた。嬉しい。安いものなので、勿論自分で組み立てねばならない。組み立て始めると娘が手伝うと云ってやってくる。当然のことながら、邪魔にしかならないのだが、一緒に作る。一つ作ったところで草臥れ果てて、もう一つは明日作ることに。楽しみは無理して一日で終わらせなくてもよかろう。


九月七日(木)


 アメリカのSF情報誌LOCUSの九月号が届いた。他のことはよく覚えていない。


九月六日(水)


 パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAINは一気に読み終えようと思っていたのに、三日で五〇ページしか進まない。このところ、少し早起きができるようになってきたので、もっと早く読み進められると思っていたのだが。どうやら、この頃、朝晩の気温が急に低くなってきたから、早起きができるようになったらしい。私は夏よりも冬の方が早起きができるようなのだ。これから気温が下がってどんどん早起きができるようになるとしたら、今月後半から、電話の契約を「テレホーダイ」から「アイプラン三〇〇〇」に切り替えたのは大きな間違いだったのかも知れない。しかし、数年前には、寝苦しい夏の方が早起きができると書いたような気もするので、私が書くことは単に出鱈目だらけだというだけのことかも知れない。やれやれ、自分で何を書いているのかよく解らなくなってきた。


九月五日(火)


 「電子文庫パブリ」で販売されている作品を眺めて見たのだけれど、今すぐ欲しい本はなかった。それにしても、ファイル形式が統一されてないのが残念。私は購入したファイルを纏めて検索ソフトで扱えないと満足できないので、Cxt形式というのはあまり嬉しくない。T-Timeを使って読むドットブックというのもそのままでは検索しづらいようだ。エキスパンドブックならいいのに。できれば全部テキストファイルにしてもらいたい。などと、考えているのでなかなか購入する気にならないのであった。星新一『明治・父・アメリカ』(新潮文庫/四〇〇円)を買おうかなと思ったのだが。


九月四日(月)


 パット・マーフィのTHERE AND BACK AGAIN (TOR, 1999)を読み始める。題名を見れば解るように、これはトールキンの『指輪物語』の舞台を大宇宙に移したという話なのだ。ふざけたことをすると思って全然期待していなかったのだが、読み始めるとこれが面白くて仕方がない。なぜこんなに楽しいのか自分でもさっぱり解らない。

 bk1から本が届く。
フレッド・チャペル『暗黒神ダゴン』(尾之上浩司訳/創元推理文庫/五四〇円)
ワインバーグ&グリーンバーグ編『ラヴクラフトの遺産』(尾之上浩司訳/創元推理文庫/一〇〇〇円)
の二冊。


九月三日(日)


 宮脇孝雄『翻訳の基本』を読む。いろいろ勉強になる。もちろん、私は翻訳家というほど翻訳はしていないのだが、本を手に取って読む一般の読者にとっては、私がどれほどの翻訳家かなどということは全く問題ではなく、経験豊富な専業翻訳家といちいち区別して読んだりしない訳だから、私はまだプロとは云えないからといって甘えたりしてはならない。とにかく私はまだまだ訳しながら考えていることが少ないということはよく解る。

 今日は一日雨。この頃、食虫植物の元気がないので、新しい水苔に植え替えてみる。この季節に植え替えるのはよくないことのようにも思えるのだが、私にできることは他にない。何だか、水苔の表面が腐ってきているような気がしたのである。ふと、気づくと暑さをあまり感じない。気温が低くなってきているようだ。夜は実に久し振りに冷房をつけっぱなりにせずに、寝る。


九月二日(土)


 キャサリン・アサロ『制覇せよ、光輝の海を!(上・下)』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF/各八〇〇円)を訳者の中原氏より頂く。どうもありがとうございました。でも実は前に送ってもらったものもまだ読んでいません。ごめんなさい。

 早川書房からロバート・アスプリン『魔法探偵、総員出動!』(矢口悟訳/ハヤカワ文庫FT/六二〇円)が届く。巻を追うごとにつまらなくなっていくような気がするのだが。この巻は果たしてどうだろう。

 夕方から第二回福岡古楽音楽祭の三日目「J・S・バッハ/室内楽の夕べ」を聴きに家族三人で出かける。曲目は「オブリガート・チェンバロ付きヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ニ長調(BWV一〇二八)」、「オブリガート・チェンバロ付きフルート・ソナタ ニ長調(BWV一〇三〇)」、「オブリガート・チェンバロ付きヴァイオリン・ソナタ ニ長調(BWV一〇一七)」、「『音楽の捧げもの』よりトリオ・ソナタ(BWV一〇七九)」の四曲。地味な曲なので娘は熟睡していた。実は私もヴィーラント・クイケンのヴィオラ・ダ・ガンバの演奏を聴きながらうとうとしてしまったのだが。勿体ないことをした。

 ニーナ・キリキ・ホフマンの A READ HEART OF MEMORIES を読み終える。十日間かかった。私にしては短いほうだ。話がなかなか進まず、気の短い私は少々苛ついた。雰囲気は穏やかで、人が死んだり悲惨な目にあう人もいたりするのだが、その穏やかさはほのぼのとしていると云ってもよいほどだ。それでいて、やや説教臭く、普通なら私が最も嫌うような話にもかかわらず、読み終えたあとにはいい話を読んだという満足感に浸れるのは何故だろう。私が歳をとったからだろうか。


九月一日(金)


 bk1から本が届く。

宮脇孝雄『翻訳の基本』(研究社出版/一七〇〇円)
シェリダン・レ・ファニュ『墓地に建つ館』(榊優子訳/河出書房新社/四九〇〇円)
津野海太郎・二木麻里編『「オンライン読書」の挑戦』(晶文社/一八〇〇円)

の三冊。『墓地に建つ館』は随分分厚い。

 今月からこのページは縦書きで読んだときに読みやすくなるように書こうと思う。前にも一度縦書きを試みたことがあるのだが、その時はpdf形式のファイルにしてみたので、甚だ読みづらいと大不評だった。そこで、今回はT-Time形式にすることにした。これなら、同じファイルをそのまま通常のブラウザで横書きで読んでもさほど問題ない。大抵の人はそのまま横書きで読むでしょうがね。興味のある方は、株式会社ボイジャーのT-Timeページで縦書き表示に必要なファイルをダウンロードしてみて下さい。

 で、ちょっと書いてみたのだが、改行が思った通りにできない。どうもNetscapeCommunicatorと一致しないのだ。振り仮名が振れるのはなかなかいい。中野善夫(なかのよしお)といった具合。普通のHTMLブラウザで見ると括弧の中に(なかのよしお)って書いてあるだけでしょう。


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