サカタのタネから97春のカタログが届く。朝顔は昨年と全く同じ品揃えで、新種は一つも載っていない。どうやら、サカタのタネは朝顔に力を入れていないようである。タキイ種苗に期待したい。
村上春樹『レキシントンの幽霊』読了。期待せずに読み始めたが、村上春樹の幽霊話もなかなかいいものである。孤独と不安に満ちた作品が多い。
午後から翻訳をしていたら、突然雷が鳴ったので慌ててPerforma6210の電源を切る。すると間もなく激しい雹が降ってきた。娘と一緒に激しく音を立てて空から降りそそぐ氷の粒を見つめる。直径7〜8ミリメートルくらいか。
紀伊國屋書店から『電子ブック版クラウン独和辞典』(三省堂/8500円)が届く。同時に註文した『熟語本位英和中辞典(新増補版)』は、ない。それに関する連絡が同封されていないので、絶版/品切れだったのか、後で別送されてくるのか解らない。『独和辞典』を早速見てみると、凡そ170MBの情報量の内、85%までが音声の情報であった。電子ブックプレーヤーを使えば、喋ってくれるらしいが、Macintoshを使って見ると文字情報しか扱えない。少し損をしたような気がしないでもない。でも、それより、和独索引からの見出し語検索が出来ないのが悔しい。
寝坊である。最近、どうも早起きが出来ない。2時頃、一度は目が覚めたのだが、また眠ってしまった。『現代若者ことば考』とジョーン・エイキンのTHE COCKATRICE BOYSを手にとって出勤。エイキンは、いくらなんでも、そろそろ読み終えてしまいたい。
『現代若者ことば考』は昼までに読み終えてしまった。新しい若者言葉よりも、昔の若者言葉の記述が興味深かった。先日、少しだけ読んでやめてしまった久世光彦の『ニホンゴキトク』という本で、「よくってよ」いう言い方を懐かしみ、失われた美しい言葉だと書いていたが、こういう言い方は明治後半に女学生が用いるようになったもので、「てよだわ言葉」と呼ばれ、品のない言葉として非難されていた言葉遣いなのだそうだ。明治初期までは、雛妓や下町の子供の言葉だったのだという。全然知らなかった。この本の中の、若者の言葉の様々な短縮形を眺めていたら、マクドナルドを関東ではマックと略し、関西ではマクドと略すという話を、何故かエスペラントのメーリングリストで目にして驚いたことを思い出した。
帰宅したら本が届いていた。早川書房の封筒に入っていたのは、ジョン・バーンズ『大暴風(上・下)』(中原尚哉訳・ハヤカワ文庫SF・上下各720円)で、訳者の中原氏が送ってくれたもの。世界中が嵐に襲われる話らしい。来週読んでみよう。
もう一つの小包は、Weinberg Booksからのもの。今回は、ウェイクフィールドのOLD MAN'S BEARDとジャック・スノウのSPECTRAL SNOWのみ。ウェイクフィールドのはAsh-Tree Pressのもの。古い怪奇小説を次々に復刊してくれるイギリスの出版社である。スノウのは、93頁しかないソフトカバーの本である。ウィアード・テイルズに載った作品を含む9篇を収録した短篇集。多分、読まないと思う。
Cyberdog 1.2をインストール。
『遠い女』読了。こちらの精神状態がよくなかったのか、残念ながらあまり印象に残った作品がない。一番気に入ったのは、最後の「航海者たち」だ。
Macintoshの話である。ロシア語版システム7.0.1をダウンロードし、職場で埃を被っていたSE30にインストールする。日本語表示は試みていないが、美しいキリル文字の画面に暫く見とれる。思わず大学院生に見せて同意をもとめてしまうが、「何のためにそんなことをするんですか」との返事である。それは、呆れたとか、莫迦じゃないかと思っているとか、軽蔑しているといった様子ではなく、ただ単に、何が楽しいのか全く理解できませんという顔である。日頃見慣れているものが、突然、全く異なった言語で当たり前のように表示されていることに、驚きと感動と美を感じないかと訊ねてみたが、感じないそうだ。と云っても皆がそういう反応を見せる訳ではなく、「アラビア語版はないんですか」と云って更に訳の解らない言語での表示を求めたりもする別の大学院生もいる。まあ、私に調子を合わせているだけかも知れないが。
大学生協で米川明彦『現代若者ことば考』(丸善ライブラリー・740円)と村上春樹『レキシントンの幽霊』(文藝春秋・1200円)を購入。
帰宅するとピアズ・アンソニイ『王子と二人の婚約者』(山田順子訳・ハヤカワ文庫FT・820円)が届いていた。本文は既に読んでいるので、訳者あとがきだけ読む。このシリーズは後7冊もあるということを知り、呆然とする。
夜中何度か目が覚めたが、頭痛がとれない。仕方なく、朝5時過ぎまで寝て、『遠い女』を手にとって出勤。しかし、まだ微かな頭痛が残っている。
昨日よく眠れなかったからか、今日は4時45分まで寝てしまう。何も出来ず、『遠い女』を手にとって出勤。
昼過ぎから頭痛を感じ、帰宅後直ぐに就寝。
昨晩は9時頃寝ようと試みたのだが、眠れそうにないのでSFマガジンの<1996年ファンタジイ総括>を終わらせることにする。今回の海外ファンタジイの推薦作は以下の十二冊だ。
タニス・リーの『ゴルゴン』と『黄金の魔獣』
クリストファー・プリースト『魔法』
ジョン・クロウリー『ナイチンゲールは夜に歌う』
チャールズ・デ・リント『ジャッキー、巨人を退治する!』
フェリペ・アルファウ『ロコス亭の奇妙な人々』
ジョナサン・キャロル『天使の牙から』
A・E・コッパード『郵便局と蛇』
S・パルウィック『いつもの空を飛びまわり』
ラフィク・シャミ『夜の語り部』
グリーンバーグ&ハムリー編『死の姉妹』
『E・M・フォースター著作集5 天国行きの乗合馬車』
以上、順不同である。
朝5時までゆっくり寝ようと、12時頃就寝。ところが3時頃から断続的に目が覚め、10分おきに眼を覚ましているようなら起きてしまった方がいいと思って、4時に起床。「幻想怪奇作家事典」の翻訳を少しやってから、『遠い女』を手にとって出勤。
帰宅すると、SFマガジン1月号が届いていた。伊藤典夫インタヴューが面白かった。
日曜だというのに朝5時半に起きて、「嘆きの天使」を観る。6時で終わりなので、最後の30分だけである。話は単純で、謹厳実直だった高校の教師がマレーネ・ディートリッヒ扮する酒場の歌手に入れ揚げて、最後には狂って死んでしまうという本当に暗いとしか言い様のない作品なのである。古い映画なので夜の場面は画面が真っ黒で殆ど何も見えないし、音も聞き取りづらい。それでも、男が狂って死んでもいつものように笑みを浮かべて歌うディートリッヒには、妖しい迫力がある。Ich bin von Kopf bis Fuss aus Liebe eingestellt...という歌詞だったように聞こえたが、自信はない。ausではなくaufかも知れない。einstellenだからね。「私は頭のてっぺんから足の先まで恋の女」というような意味だろう、多分。来週もディートリッヒ特集第3弾で「モロッコ」をやるらしい。話の展開はこちらの方が好きだが、英語だから、観るかどうかは解らない。画面も明るいし、音も聞き取りやすいことは間違いないが。
土曜と日曜でSFマガジンの<1996年ファンタジイ総括>を書く。今年で三回目だが、毎回こんなのでいいのかなと不安を抱きながら書く。爆弾が炸裂するような強烈なものはなかったが、全体的には結構充実した年だったような気がする。
『パニックの手』読了。以前はキャロルの短篇は纏めて読まない方がいいのではないかと思っていたが、私が間違っていた。纏めて読むことで更に各作品の効果が相乗的に高まるのだ。来年出る短篇集第二弾が楽しみである。
早川書房より書評用のフリオ・コルタサル他『ラテンアメリカ短篇集 遠い女』(国書刊行会/2000円)が届く。ちょっと遅くなったが、送ってもらえたのだからまあいいか。早速、読み始める。
今日も寝坊である。こういうときは躰の調子が悪いときなので、無理はしないことにしている。そして今日も、ジョナサン・キャロル『パニックの手』を読みながら出勤。
昨日は早起きし過ぎたので、ゆっくり寝ようと思ったらすっかり寝坊してしまった。5時半に起きて、朝2番の列車で、ジョナサン・キャロル『パニックの手』を読みながら出勤。
目が覚めてしまったので一時半に起き、SFマガジンのファンタジイ評を書く。<ザンス>第11巻とパルウィック『いつもの空を飛びまわり』とウェイクフィールド『赤い館』とノーテボーム『これから話す物語』の四冊。といってもノーテボームは四行しか記述がないので、実質は三冊である。ファンタジイらしいのはピアズ・アンソニイだけだ。パルウィックは帯やカバー見返しなどに5箇所もファンタジーと書いてあるから、まあいいだろう。<感動的ファンタジー><心ふるえるファンタジー><読者を一気にひきずりこむファンタジーだと思う><待望のミステリー・ファンタジー>というのは些かくどいと思う。
ジョナサン・キャロル『パニックの手』を手に取って出勤。八割方は既に英語あるいは邦訳で読んでいる短篇集である。
帰宅すると、紀伊國屋書店にI-feelメンバーズクラブの葉書で註文していた『電子ブック版クラウン独和辞典』と『熟語本位英和中辞典(新増補版)』についての連絡が届いていた。今度からはもう一つ別の番号も書くようにという通知が同封されていて、何だか面倒臭い。納期は12月2日になっている。『熟語本位英和中辞典』の方は在庫が?になっていたから、来るかどうかは解らない。
朝、SFマガジンの原稿を書いていたら、入力中の文字に時折文字化けが起こり、危険を感じていたのだが、調子のいい英語版システムの表示をドイツ語化すればいいのではないかという考えが突然頭に浮かぶ。早速、Systemファイルをコピーしてドイツ語化。これが前は何時間もかかっていたのに、今では20分で出来るようになってしまった。使用中のSystemをドイツ語化Systemと入れ替え、Finderファイルをドイツ語版と入れ替え、再起動。あっ、Script Switcherを入れるのを忘れた! と思ったがもう遅い。英語版はこれが入っていないと日本語表示が出来ないのだ。ところが、再起動した画面は通常通りに日本語を表示している。でも、確かにSystemは入れ替わっていて、クリップボードはClipboadとなっている。何だかさっぱり解らない。うまくいったんだからまあいいかと思ったものの、しかし、SimpleTextで日本語を打つと行頭に固まってしまう問題も、NisusWriterでカーソル位置が文字の2倍の数の位置にいってしまう問題も、消えていない。何かドイツ語化の過程で生ずる問題なのだろうということが解った。それに、英語版での問題、Roman-JISのキー配列が使えない、<キー配列>でキーボードの配列が表示できないという問題も加わり、前より悪くなってしまった。やれやれ。
4時に起きて、SFマガジンの二月号用のファンタジイ評の原稿を一枚ほど書く。ジョナサン・キャロルの短篇集は申し訳ないが、次号にさせていただく。12月は20日に帰省するのでその前に原稿を送ってしまおうと考えており、普段より早めに書こうと企んでいるのだった。
ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズII』(集英社/3800円)を購入。勿論、Iもまだ読んでいない。
よく解らないのだが、近頃Macintoshでは'WDEF'リソースに関する問題というのがあるそうで、念のため私もWDEF Leopardというフリーウェアを入れてみる。そもそもタイプ86のエラーなんて出たことがないので、殆ど関係ないとは思うのだが。職場の三台のPowerMacはFix Purgeable WDEFsというので処理しておく。
三時半に起きて、「幻想怪奇作家事典」の翻訳を少しやる。漸く、Lの項目が終わってQへと進む。ふと今月は1996年ファンタジイ総括の原稿もあることを思いだし、SFマガジンの二月号用のファンタジイ評の原稿を一枚ほど書く。システムのドイツ語化に無駄な時間を使わないと結構時間を有効に使えるものだ。
久しぶりにジョーン・エイキンのTHE COCKATRICE BOYS手にとって出勤。あまりに久しぶりなのでどんな場面だったのだ思いさせず、些か苦労する。
漢字Talk7.5.5アップデータを見つけたので早速ダウンロードし、職場のMacintoshのシステムを7.5.5にして回る。更に、研究室にある個人所有のものにまでインストールして回ったので、余計なお節介をする変な奴だと思われたようだ。当然ながら、自宅のシステムはドイツ語表示なのでこいつはインストールできない。ドイツ語版7.5.5アップデータは一体いつになるのだ。
ジョナサン・キャロルの短篇集『パニックの手』(浅羽莢子訳・1700円・東京創元社海外文学セレクション)を受け取る。キャロルの短篇集は日本では二分冊で出ると知って驚く。英国版と米国版の収録作品に違いがあることも知らなかった。この短篇集、長い間、ドイツ語版しかなかったのである。私は、どうしてもこのドイツ語版が欲しくて、ドイツに旅行する人に頼んで買ってきて貰い、更に、自分でドイツに行ったとき(正確には購入したのはウィーンなのだが)にもう一冊買ったという思い出深い短篇集なのだ。しかし、私はそのドイツ語版を読むことは出来なかった。読もうとはしたのだが。ドイツ語版の印象がよほど強かったせいか、イギリス版が出たときにも、アメリカ版が出たときにも、何となく買いそびれていたのであった。
Macintoshの話である。NisusWriter 4.1Jを使っていたら、英語を書いているときは問題ないのだが、日本語を打ち込むと入力された字数の二倍の位置にカーソルが移動し、文字とカーソル位置の対応が解らなくなってしまう問題点を発見してしまった。その他、システムソフト電子辞典を使うと、改行処理が全くなされず、語句の説明が一行で表示されてしまい、表示枠内に収まらない(ので現実的には使いものにならない)、Cyberdogで電子メールを送信しようと思って文章を入力しようとするときや手紙を受信したときにも改行処理がなされない、SimpleTextでの日本語表示も改行処理がなされないだけでなく、入力時に文字が行頭に重なってしまうし、Eudoraを使うときにも同様の現象が見られるなど、考えてみると問題が多い。これは総て日独米混合システムを使っているせいである。そこで、漢字Talkのメニューやヘルプの表示だけをドイツ語にすれば、安定した環境になるのではないかと思ったのが大間違いだった。Systemファイルの中のMENUをドイツ語に書き換えただけだと、約三分の一しかドイツ語化されないのだ。Finderファイルの中に重要な秘密が隠されていたのに気が付かなかった。それを見つけだし、ドイツ語化すると、やはり同じ現象が再現されてしまったのである。私はこれで約五時間を無駄にしてしまった訳だ。ドイツ語化率は更に高まったが、問題は全く解決されなかった。もう私がどうこうできるところは残っていないので、システムをいじって時間を無駄にすることはもう殆どなくなるだろうということだけが、せめてもの救いだ。
『カント・アンジェリコ』読了。1710年代に電気や電話があるというのは無茶な話であるが、作者が冒頭記しているようにバロックだから別に構わないのだ。カストラートと電話通信網との組み合わせは見事である。以前、TVで<声で電話をかける姉妹>を見た、と職場の人が云っていたので、カストラートの少年達が歌声で暗証番号を入力していくという点に関しては全然無茶な話ではないに違いない。そういえば、カストラートの話で「去勢」というのがサンリオSF文庫に入っていたが、あれはキングスレイ・エイミスだったか。読んだのだが、さっぱり思い出せない。天使と呼ばれる歌手が出てくるSFというと、100ページほど読んだが途中で止めてしまったシャロン・シンのARCHENGELというのがあるが、あまり思い出したくない。
SFマガジンの<マイベスト5>を選んで200字の短評を書くのに何時間もかかってしまった。私のように記憶力の貧弱な者が選ぶと、どうしても最近読んだ本が有利になる。一年近く前に読んだものには内容を全く思い出せない作品もある。一位は恥も外聞もなくヨナス・リーだ。二位はコッパード。SFでもなんでもない。3〜5位を何にしたか、これを書いている月曜日にはすっかり忘れてしまっているのだった。
Macintoshの話である。システムはもういじらないという誓いは昨日破ってしまったので、もうどうでもいい。今度は、<入力メニューについて>という言葉が、DITLの中のID -16493にあるのをつきとめ、ドイツ語化する。更に、<バルーンヘルプについて...>という表示が同じくDITL中のID -5696にあると思ったら大間違いで、PICTの方のID -5696にあったのだった。これも同様にドイツ語版と差し替える。その他、PICTの中には日本語や英語の表示が残っていたので解る範囲でドイツ語版と差し替えたが、対応するものがドイツ語版になかったりするものもあり、完全にはドイツ語化はできない。自分でドイツ語に翻訳する能力はない訳だ。それでも、私のPerforma6210のシステムのドイツ語化はほぼ完成に近づいたと云ってもいいところにまで来たと思っている。しかし、バルーンヘルプのフォントを決めているのがどこなのかは未だに解らない。
「幻想怪奇作家事典」の翻訳を少しやってから『カント・アンジェリコ』を手にとって出勤。
『エンデ全集7 サーカス物語・ゴッゴローリ伝説』(岩波書店/2678円)を購入。この巻は両篇とも戯曲ではないか。こういうのを読むのは苦手なので、恐らく何か特別な理由が生じない限り読むことはないだろう。
風邪は更に悪化し、夜中に何度か目が覚めたが4時半まで眠ることにする。翻訳をする時間はもうないので、OpenTransport/PPP 1.1.1をインストール。動作の確認に滅多に文書が送られてくることのないE-mail受信簿をチェックすると、筑摩書房の磯部さんから、2週間前に送ったメールは文字化けして全く読みとれないので、もう一度送信するか、ファックスで送るようにとの連絡が入っていた。今回はテキスト・ファイルを送るのが目的だからファックスでは送れない。もう、出勤時間が迫っていたので、職場から送信しようと決めて原稿をフロッピー・ディスクに入れる。それでもまだ、数分時間が残っていたので、システム・フォルダの中のクリップボードというやつが文字化けしているのでClipboardと入れ替える。更に、数日前の決意などすっかり忘れて、Systemの中のhdlgとhmnuをドイツ語化する。再起動してもなんの変化も認められない。バルーンヘルプのフォントがosakaなのでウムラウトが文字化けしてしまうのと、<入力メニュー>についてを開いたときの「入力メニューについて」という文字だけが日本語のままで文字化けしているのが、不満である。まあ、バルーンヘルプなんて絶対使わないのだが。
高野史緒『カント・アンジェリコ』を手にとって出勤。筑摩書房へ原稿を送る。
ジェイムズ・H・シュミッツ『惑星カレスの魔女』創元SF文庫(鎌田三平訳/730円)を東京創元社より頂く。SFなのに、ありがたいことである。この本、1987年に新潮文庫から出たものだ。表紙も同じものを採用している。私も新潮文庫版は持っているが、それを読んだかどうか憶えていない。それにしても、もう9年も前のことになってしまったとは、驚きを禁じ得ない。読んでいたのかも知れないが、全く内容を憶えていないので、これを機会に読んでみようかと思っている。
風邪を引いてしまったので4時過ぎまでゆっくり眠る。幻想怪奇作家事典」の翻訳を少々。
三日前にもうシステムはいじらないと決意したのだが、またドイツ語化されていない日本語部分を見つけてしまい、どうしようか悩む。Systemの中のhdlgとhmnuである。
荻野アンナ『半死半生』を読み終える。確かに面白いが、現代のラブレーなどと云うほどのものだろうか。昔なら、SFとして出版されていたと思うのだが、時代が変わったということなのだろう。本文中に一度SFという言葉は出てくるが。
電子メールの送受信に問題が起き、無駄な時間を使ってしまう。「幻想怪奇作家事典」の翻訳を少しやってから(と云っても今日はスキャナで文書を取り込んでテキスト化しただけ)、荻野アンナ『半死半生』を手にとって出勤。
AppleGuide 2.1を英語system7.5.5改変版に入れる。殆ど使うことのないAppleガイドだが、表示速度が速くなったそうなので、2.0.2と入れ替えてみた。少しは速くなったような気がするが。ドイツ語版はまだ2.0.2までしか出ていない。英語system7.5.5改変版にもCyberdog 1.2b2をインストール。日独米混合システムはいつ崩壊するか解らないので、もう一つのシステムの世話も怠ることは出来ないのである。
紀伊國屋書店にI-feelメンバーズクラブの葉書を使って、『電子ブック版クラウン独和辞典』(三省堂/8500円)と『熟語本位英和中辞典(新増補版)』(4700円)を註文する。『独和』の方は、近頃Performa6210のシステムの表示やNetscape Navigator 3.01 (de)の説明が理解できなくなったからである。『熟語本位』の方は前からいいものだと聞いていたので欲しかったもの。インターネットで註文することも出来たのだが、あっちで登録してあるカードは銀行の口座残高の関係でちょっと使いたくないのだった。
『筋肉男のハロウィーン』を読み終える。今一つ。どこが不満なのかと訊かれるとうまく答えられないのだが。時代が変わってつまらなくなってしまったボーモントのような作品の印象のためか。
Other World BookstoreとWeinberg Booksからカタログが届く。Other World Bookstoreの方はLAST CATALOGの印が付いているが、このままカタログ送付を停止して貰うことにする。以前はコッパードの本やアーカム・ハウスを何冊も買ったりして結構気に入っていた店だったのだが、このところ註文したくなる本がカタログに載らなくなっていた。Weinberg BooksのカタログにはAshtree PressのTHE STONEGROUND GHOST TALES by E. G. Swainというのが載っている。1912年刊行の怪奇小説集の復刊である。$45.00。買いたいが、イギリスの本はイギリスの書店から買うことにしたので、今回は見送ろうか。でも、ビーグルのユニコーンものの新刊一冊ではクレジットカード使用のための最低金額に達しないので、一緒に買ってしまおうか、悩むところだ。
Macintoshの話である。昨日は"Starting up..."を"System wild gestartet..."に変えるためにSTRのID -16502だけを書き換えたのだが、そんなちまちましたことをせずに、今日は思い切ってSTRとSTR#を一気にドイツ語化しようと決意する。例によってResEditでSystemを開いて、ドイツ語版のSTRとSTR#の中身をいつも使っているシステムのSTRとSTR#の中にペーストする。神に幸運を祈りながら再起動すると、"Willkommen!"の文字が。これで殆どの日本語/英語表示が姿を消し、ドイツ語ばかりになる。バルーンペルプを入れるときは、Erklaerungen ein(aeのところは本当はaのウムラウト)である。しかし、Apple HilfeとMacintosh Hilfeの内容は全く理解できなくなってしまった。これで完璧だと思っていたが、ふと一番右上の絵を押してみると"Hide Finder""Hide Others""Show All"の文字が。気に入らない。再びResEditでSystemを開いてMenuを開ける。該当するところをドイツ語に変えて、再起動すると、?マークが出て起動できない。NortonUtilitiesで修復しようとしても、問題なしとの診断結果である。どうしようもない。日頃、反省はしても後悔だけはしたくないと思っている私だが、心の中に巨大な<後悔>の文字が姿を現そうとしている。その文字を無理やり押さえ込み、Systemを入れ換え、再起動を12回くらい繰り返した後に、Zeichensatz-Cache(フォントキャッシュ)のファイルを新しく作らせると、認識されるようになるということを偶然発見する。何だかさっぱり解らないが、これまでの結果を踏まえて再挑戦。成功である。"Finder ausblenden""Andere ausblenden""Alle einblenden"になったではないか。これでもうシステムはいじらない。毎日そう思うのだが、今日もそう決意する。もうシステムはいじらない。
翻訳をしようとMacintoshの前に坐るが、娘に邪魔されて殆ど進まない。妻までやって来て、航空券の予約をしろとか、東京ディズニーランドの予定を調べろとか云い出す。娘は、私に「Zurückを押せ。Zurückだよ、早くしろ」などと怒鳴られながらも、「はいはい、ツリュックね」と愛想よく答えて、決してマウスを手放そうとしない。
『筋肉男のハロウィーン』を少し読む。
Macintoshの話である。再三述べているように私が使っているPerforma6210の表示はすっかりドイツふうになったのではあるが、起動したときの"Welcome to Macintosh"と"Starting up..."というのが気に入らない。そこで、システムというファイルを開いてDSATというところをドイツ語版と置き換え、STRのID -16502をドイツ語に書き換える。今では起動すると"Willkommen!"という言葉が暖かく私を迎えてくれる。"System wild gestartet..."という言葉を見ていると、よし今日もばりばり原稿を書くぞという気持ちが湧いてくるから不思議なものだ(本当かね)。こう書くとすんなり書き換えに成功したようにみえるが、実は一時は何度再起動しても?マークが出て、万事休すかと思ったときもあったのだ。それにID -16502を見つけるのにも苦労した。まだまだ英語が沢山残っているので、順次ドイツ語に置き換えていきたいが、冷静に考えてみれば、私はドイツ語は殆ど読めないのだった。
川上弘美『物語が、始まる』を手に取って出勤。3時間ほどで読み終わってしまった。これでは仕事をしに職場へ行ったのか本を読みに行ったのか解らないが、ちゃんと仕事の合間に読んでいたのだ。どうせ休日だし。昔なら川上弘美はSF作家と呼ばれたかも知れないが、今はそういう時代ではないのだ。芥川賞作家なのだ。「物語が、始まる」も印象的だが、何と云っても「トカゲ」は怖い。樹木や果実の漢字を覚えられたのが嬉しい。恥ずかしながら、枇杷(びわ)とか橡(とち)を私は知らなかった。
帰宅途中で書店に寄って、レイ・ブラッドベリ他『筋肉男のハロウィーン』(吉野美恵子訳/文春文庫/540円)を買う。何とこんなところにコッパードが!
職場でダウンロードしたCyberdog 1.2b2をインストール。少し変わったようだが、実際に使用していないのでよく解らない。
頭痛もあって昨晩8時に寝たので、今朝は2時に目が覚めた。NetscapeNavigator 3.01ドイツ語版をインストールして再起動すると、?マーク。NortonUtilitiesで修復するとErrorの嵐である。全く危険なsystem7.5.5であるとつくづく感じる。普通ならここで使用を止めるべきだが、もう少しドイツ語表示システムを使ってみたい。金さえあれば、正規のSystem D7.5.3とSprachpaket Japanisch 1.2を買えるのだが。これで時間を無駄にしてしまい、「幻想怪奇作家事典」の翻訳は少ししかできない。それにしてもライバーに関する記述は難しくて皆目理解できない。自分の能力を超えた仕事を引き受けてしまったのだと悩みながら、『これから話す物語』を手にとって出勤。この話も何だか解らない。私の頭は急速に衰えているようだ。
『これから話す物語』は朝9時には読み終わってしまった。今日一日どうやって過ごせばいいのだ。まあ職場にいるのだから仕事に励めばいいのだが。それにしても何だかよく解らない話である。死ぬ前の年寄りが昔のことを思い出しているだけのことで、それが環状構造になっているからと云ってさほどたいしたこととも思えない。それにあの腰巻きは書き過ぎではなかろうか。読み進めていくうちに、ああそういうことだったのか、と少しずつ状況が解っていく面白さが失われてしまう。推理小説ではないのだから、別に謎解きが命という訳でもないとは云え。でも、あの腰巻きの文句がなかったら私はこの本を買わなかっただろうから、何とも難しいところだ。
LOCUS 11月号着。ラッシュがF&SFの編集長を降りるという記事を見て少し驚く。
SFマガジン編集部から1996年ベスト5のための資料を受け取る。<海外SF>として載っている173冊のうち読んだのは僅か31冊。<日本SF>のリストには523冊が載っているが、私が読んだのはたったの2冊である。川上弘美『蛇を踏む』と長野まゆみ『月の船でゆく』だ。でも川上弘美はSFなのだろうか。今年も日本SFは5冊選べないだろうし、海外SFは5冊ともリストに載っていない本になりそうである。
少し寝坊して4時に起床。早速翻訳だと思ってPerforma6210を起動すると、機能拡張ファイルが半数ほど姿を消してしまっており、実に変なことになっている。例によってNortonUtilitiesで修復。思い起こせば昨晩、不必要と思われるファイルを一つ消去し、システムフォルダのファイルを二つ入れ替えた。それからDiskCopy 4.2をドイツ語版と交換した。しかし、だからといって機能拡張ファイルが十数個も消えることはないではないか。この日独米混合システムは突如起動できなくなったりすることがあるので、使用を止めようかという考えが心に浮かぶ。
復旧したドイツ語表示システムで30分程「幻想怪奇作家事典」の翻訳をやってから、C・ノーテボーム『これから話す物語』を手にとって出勤。
職場でNetscapeNavigator 3.01ドイツ語版が出たことを知り、性懲りもなく早速ダウンロード。
昼頃から頭痛が激しくなり、殆ど仕事にならない。以前は、頭痛は必ず午後始まって夕方頂点を達したのだが、近頃は昼前から始まるようになってしまった。ただ、早く始まった頭痛は夕方前に収まることが多く、今日も帰宅前には殆ど収まった。いつものこととは云え、頭痛は辛い。
頭痛で頭を抱えながら郵便物に目を通すと、京都SFフェスティバルから案内書が来ている。暫く参加していないが、今年も参加できそうにない。金もないし、元気もない。トールキン研究会<白の乗手>連絡紙も届いている。毎回、どうってことない内容だが、来ないと寂しく見るとなんとなくほっとする会報なのである。歳をとったということか。
昨日届いたクラリスワークスのヴァージョンアップ案内を見ているうちについふらふらと註文してしまった。以前はMacintoshのPerformaシリーズにおまけで付いている中途半端なものだと莫迦にしていたのだが、今度は縦書きが出来るというところに惹かれてしまった。実は私は数日前までClarisWork 4.0ドイツ語版を買おうか買うまいか迷っていたのだ。何しろ英語版では禁則処理を含む日本語表示ができるそうではないか。しかし、縦書きができるという話は聞かない。259マルクとちょっと値段も高かった。今は、ドイツ語システムとSprachpaket Japanisch 1.2 (こいつは370マルクもする)を買っていいだろうかと迷っているのである。ドイツ語版ワープロソフトを探してみたが、全然見つからなかった。その他、Eudoraは英語版の他は、日本語、フランス語、スウェーデン語、フィンランド語があったようだが、ドイツ語はないし、Cyberdogもドイツ語版なんてない。Netscape Navigator 2.02とClarisWorks 4.0だけだ。
ウェイクフィールド『赤い館』を読み終える。あまりにも古い怪奇小説が実に心地よい。しかし、怪奇小説を書く者は幽霊の存在を信じていなければいけないというウェイクフィールドの説には納得できない。私は(その必要はないという)M・R・ジェイムズの説の方を支持する。
『いつもの空を飛びまわり』を読みながら出勤。ウェイクフィールドを読んだ直後だからか、平仮名の多さが気になって仕方がない。まあ、いずれ慣れるであろう。
と思っていたら、慣れないうちに読み終わってしまった。素晴らしい話だが、平仮名が多過ぎて児童書を読んでいるような気分になってしまう。内容から『夢の終わりに』を思い出したが、ライマンの方が胸に迫ってくるものがあった。
連休後はいつものことだが寝坊してしまい、ウェイクフィールドを手にとって慌てて家を出る。
書店で探して買ってきて貰うように妻に頼んでおいたスーザン・パルウィック『いつもの空を飛びまわり』(安野玲訳/筑摩書房/1500円くらい)が机の上に置いてあった。妻に本を頼んでも実際に買ってくれることは殆ど皆無に近いことなので、これは奇跡に近い事件である。ぱらぱらと頁をめくってみて、平仮名の多さに少し驚く。12歳の少女が主人公だからか。それにしても些か読みにくそうだ。
Performa6210を購入したときについてきた折り紙のやり方が載っている子供向けCD-ROMがあったことを思いだし、娘に見せて折り紙を一緒に折ってやったら、娘はマウスを手放さない。折り方の他に、折り紙に関連した簡単なゲームが付いているのだが、それにも熱中してマウスを手放さない。折り紙でなく翻訳でもやってくれたら便利なのだが。「幻想怪奇作家事典」の翻訳をやろうとするが、娘がマウスを操ろうとするので全く捗らない。
『英国短篇小説の愉しみ』の原稿をそろそろ送ることになっていたような気がするので、6篇の原稿をAttached Documentにして手紙に添えて、筑摩書房に送信してみたら、長過ぎて駄目ですと云って帰ってきてしまった。少しずつ送ってみると、うまく送れた。これは不便だ。長さに制限があるとは知らなかった。
「幻想怪奇作家事典」の翻訳をやろうとするが、娘と妻に邪魔されていっかな進まない。諦めて、OpenDoc1.1とCyberDog1.1をインストールしてみる。するとE-mail送信時の入力でも日本語の表示に問題がないことが解った。これからはメールはCyberDogで送受信することにしようか。近頃は日本語版でなくても日本語表示が出来て、便利になったものだ。WorldScript対応ってのはこのことだのだろうか。
ウェイクフィールドを少し読む。
朝、15分程の作業のため職場へ行く際の往復で、ピアズ・アンソニイ『王子と二人の婚約者』を読み終える。まだ9歳の王子が冒険を求めて旅に出て、様々な危機を乗り越えていくうちに、少しずつ精神的に成長していく様子と軽いユーモアとともに描いたファンタジイで、残念ながらあまり面白くない。前巻は結構いい印象を抱いたのだが。
娘を連れて雨のなか蜜柑をとりにいく前に岩田屋Z-sideにあるリブロに寄る。C・ノーテボーム『これから話す物語』(鴻巣友季子訳/新潮社/1600円)とO・R・メリング『歌う石』(井辻朱美訳/講談社/1500円)を買う。メリングの方は奥付を見たら1995年12月と書いてあり、今年が1995年だと思っていた私は新刊書だと思って買ってしまったのであった。ノーテボームは間違いなく新刊書である。
朝から感じていた頭痛は書店を出る頃、激しさを増し、家族で蜜柑をもぎに行くのが厭なのだろうと妻に罵られる。
図書館流通センターから小包が届く。早速、バッハ全集を聴くが、今回はミサ曲とヨハネ受難曲なので些か重い。次回はオルガン曲なので楽しみだが、何と12月刊行と書いてあるではないか。来月である。もう少し間隔を開けてくれないと金が続かない。バッハを聴きながら、他の本の表紙を観賞してから書棚に収める。その中から『赤い館』を手に取り、最後のゴーストストーリイ作家ウェイクフィールドの短篇を味わう。
Eudora 1.5.5をインストール。私は今までEudora-Jでないと日本語表示が出来ないと思っていたのだが、近頃のEudoraは問題ないようなので、PowerMac対応の版に変えておくことにした。しかし、相変わらず、改行するたびに日本語が行頭に固まってしまう。送受信に問題はない。ついでにPowerPC Interrupt Extensionというのを見つけたのでインストール。どういうものなのかはよく解らない。
寝坊して4時15分に起きてしまったが、「幻想怪奇事典」の翻訳をやろうとPerforma6210を起動すると、「?」印が出て起動できない。外付けハードディスクから起動して修復。一安心と思って、再起動するとまた「?」。再び修復。今度は、問題なく起動。しかし、Netscape 2.02(de)やEudora-J 1385でメールを送るために文字を入力しようとすると、日本語の文字がぐしゃぐしゃと行頭の2〜3文字に重なってしまい、文章が書けないことが判明。それでも送信された文書は普通に表示された状態で受け取られるのだが。私の日独英混合システムによる問題か。だとすれば、重大な欠陥である。そういえばシステムソフトエディタを使っているときも、全角仮名で入力された文書の上なのに半角でカーソルが移動するのは変だと思っていた。そんなこんなで、一行も翻訳できず、「ザンス11」を読みながら出勤する。
図書館流通センターから本の発送の連絡が来ていた。註文した7冊は総て揃い、合計30260円。やはりバッハ全集は高い。
今日気が付いたのだが、我侭というのはちゃんと我儘と表示できるのだった。今度から一発で変換できるように登録しておこう。