2月29日(木)

 オーストラリアの書店を見て回り、書店リンク集に一つ二つ追加する。最近、このページなど全く見ずにリンク集だけ訪れてくれる人がいる。こういう人は本当に書店を見るために使ってくれるのだから、ちょっと嬉しい。勿論、この日記のページまで丹念に読んでくれる人がいるのも嬉しいことに違いはない。この日記だって、本来はどの本屋でどんな本を買うとどれくらいで届くかとか、書店の対応の態度だとかを記しておこうと思って始めたものなのである。でも、毎日毎日新しい本を買える訳ではないので、その他のことの方が多くなってしまうが。
 午後から頭痛が始まり、気分が悪くなってきたので、さっさと帰って、素早く寝る。頭痛に苦しみながらも、今月ももう終わってしまった。


2月28日(水)

 タニス・リー『ゴルゴン』(ハヤカワ文庫FT)が来る。中身は既に読んでいるので、訳者あとがきのみ読む。表紙の雰囲気はなかなかいいと思う。これまでのハヤカワ文庫FTから出ていたタニス・リーの表紙はどうも好きになれなかった。


2月27日(火)

 F&SF誌3月号着。デ・リントの書評などざっと眺める。
 紀伊国屋書店から「百貨全書」という通販カタログが来る。本は載っていない。こいつと交互に送られてくる別の方に本は載っているのだが、紀伊国屋もWWW上から註文できるようにして欲しいものだ。別にファックスでもそんなに変わらないけれど。
 Nisus Writer 4.1 JのCD-ROMが来る。4歳の娘と一緒に8時に寝てしまったので、インストールする時間がなかった。こうやって9時間ゆっくり寝るとなかなか気分がいいものだ。


2月26日(月)

 早川書房に原稿を送信。郵便で書影撮影のために本も送る。無事に帰ってくるだろうかと、とても心配である。
 ヨナス・リー『漁師とドラウグ』の校正の後半に漸く目を通し、自分のぎこちない日本語と貧弱な英語の理解力を恥じながら訂正・変更などを終える。横で見ていた妻は、私の文章を覗き込み、読めない漢字と古臭い言い回しが多過ぎて普通の人には読めないであろうと云う。確かにそうなのかも知れないが、国書刊行会のヨナス・リーの本を買う人は普通の人ではなく、読めそうにない漢字や古めかしい言い回しが好きな人が多いのさ、と反論してみるものの自信はない。


2月25日(日)

 それほどひどい風邪ではないのだが何となく躰に力が入らずだらだらと一日を過ごしてしまう。それでも何とか<SFスキャナー>の原稿を書き終える。


2月24日(土)

 SFマガジン4月号が来る。やっとシャロン・シン作 THE SHAPE-CHANGER'S WIFE の紹介文を書き始める。いつものことだが、愛着の深い作品ほど書きにくく、1枚ほど書いて寝てしまった。


2月23日(金)

 SFマガジンの海外作品紹介欄<SFスキャナー>の原稿を書かねばならないのだが、風邪をひいたのか気分がすぐれないので寝てしまう。


2月22日(木)

 ブレイロックの ALL THE BELLS ON EARTH を80ページまで読んだのだが、つまらないのでこれ以上読むのは止めることにした。これまでブレイロックの本は絶対に全部読もうという固い決意を抱いていたので、これは私にとっては重大な決断なのだ。前作からブレイロックは少し雰囲気が変わって、かなりホラーよりの作品となったのである。文章は高く評価されているようだが、私が読みたいブレイロックは、『夢の国』『リバイアサン』『ホムンクルス』のブレイロックなのだ。前作は最後まで読み通したが、今回はもう止めた。そして、懲りずに今日からブレイロックの THE MAGIC SPECTACLES (Morrigan Publications, 1991)を読むことにする。こちらは少年二人が主人公で、ハロウィーンも終わった晩秋に忽然と不思議な店が出現するところから始まる物語で、如何にも以前のブレイロックといった感じで楽しみである。これが終わっても、ずうっと前に出たファンタジイの3部作も未読だから、ブレイロックの本を読み尽くしてしまう心配は暫くはないのだ。


2月21日(水)

 すっかり寝坊してしまう。他の人が出勤してくる前に急いで早川書房にSFマガジンの原稿を送信する。数時間後に電話連絡があり、書き直しを数カ所求められる。ディ・キャンプといえばUnknownというパルプ雑誌がすぐに頭に浮かぶ訳で、Unknown誌抜きにディ・キャンプは語れまい、と私は考えた。それでうっかり「アンノウンタイプのファンタジイ」という表現をなんの説明もなしに用いてしまい、これでは何のことか理解できないと指摘されたのである。私もちょっと解りにくいかなと思い、「この言葉も今となっては死語かも知れないが」という言葉を添えたのだが、これでは何の説明にもなっていない。Unknown誌を知らない人のために一言付け加えると、この雑誌は1939年から1944年(43年だったかな?)の間刊行された雑誌で、アスタンディング誌の姉妹誌ということになっている。編集長はジョン・キャンベルJr。ディ・キャンプの「ハロルド・シェイ」シリーズをはじめ現代的な(勿論50年前の現代である)ユーモア・ファンタジイやヒロイック・ファンタジイの分野で後世に残る名作を掲載した。有名なものではディ・キャンプの『闇よ落ちるなかれ』、フリッツ・ライバーの「ファファード&グレイ・マウザー」や『妻という名の魔女たち』などである。後は忘れた。こうやって書いてみると自分が如何に理解しがたい言葉を用いたのかがよく解る。50年前のパルプ雑誌のことを知っている日本人など殆どいないだろう。


2月20日(火)

 SFマガジンのファンタジイ評の原稿を書く。今回はディ・キャンプ&ドレイクの『勇者にふられた姫君』(ハヤカワ文庫FT)、デ・リント『月のしずくと、ジャッキーと』(創元推理文庫)、『ハンガリー民話集』(岩波文庫)の3冊である。


2月19日(月)

 オランダの書店を見て回り書店リストに追加。オランダ語は英語やドイツ語にちょっと似ているので、何となく意味は推察できる。でも、勿論、本など読めはしない。なら、どうしてこうも熱心に読めない本を売る書店を探し回るのだろう。自分でもよく解らないが、本屋を見て回るのはとにかく楽しいものだ。
 今月のクレジットカードの請求書が来ていたので見ると、New World Booksからの請求は20ドル。どうやら職場の人に頼まれた同類語辞書だけで、CD-ROM2枚は買えなかったようだ。尤も、日付が1月30日だったので、その数日後に残りも入荷した可能性はある。New World Booksの欠点は注文の処理状況が確認できないことだ。WWW上で状況を確認できる書店は安心である。買えないと解ったらすぐに別の書店に註文出来る。
 夜、SFマガジンのファンタジイ評の原稿を2枚程書く。


2月18日(日)

 チャールズ・デ・リント『月のしずくと、ジャッキーと』(創元推理文庫)を一気に読み終える。原書で以前読んでいたから速いのだ。その勢いで、SFマガジンのファンタジイ評の原稿を書き終えてしまおうと思ったが、なかなか書き出せないので、娘を連れて近所の本屋へ行く。娘に本を一冊買ってやる。せっかく書店に来て自分の本を買わずに帰っては何だか損したような気分になりそうなので、オースン・スコット・カード『地球の呼び声』を買う。しかし、『地球の記憶』、買ったと思い込んでいたが我が家の書棚に見あたらない。勘違いだったのだろうか。


2月17日(土)

 トマス・M・ディッシュ『M・D』を読み終える。帯にホラー・ファンタジーなんて書いてあるから読んでしまったが、どこがファンタジイなのか。SFマガジンのファンタジイ評に使えるんではないかと期待して読んだのだが、これでは無理だ。前半は何か凄いことが起こるのではないかという期待で結構楽しかったのだが、後半はただ気持ち悪いだけだ。そもそも長過ぎる。読まなきゃよかった。ブレイロックを読んでいればよかった。


2月16日(金)

 昨日は、本もカタログも来ないので、つまらない。本を註文する金もない。相変わらず『M・D』が終わらない。仕方がないので、書店の探索に出るが、特に収穫もない。
 帰宅すると、ヨナス・リー『漁師とドラウグ』の校正、後半部が届いていた。見ると憂鬱になるので、机の上の伏せて置き、寝てしまう。


2月15日(木)

 久しぶりに海外の書店を回り、フランスの本屋さんを書店リンクページに追加。アメリカにあるポーランド語の本の書店も載せてみる。スペイン語の本の店が殆どないの気付き、今後はスペイン、南米の書店を重点的に探そうと決意を新たにする。大袈裟に決意するようなことでもないが。


2月14日(水)

 やっとRobert Weinberg BooksにFAXが繋がり、註文が完了。先週の木曜日に選んだ3冊に加えて、ジョン・ディチャンシーの FROM PRUSSIA WITH LOVEなんてものも追加してしまう。


2月13日(火)

 Robert Weinberg Booksに註文をFAXで送ろうとしたが、うまく繋がらない。ここは平日の昼間のみFAXを受け付けるというところが最大の欠点だ。うまく送信できるまで1週間近くかかることもあるのだ。郵便の方が速いんじゃないかと思うことすらある。
 創元推理文庫『月のしずくと、ジャッキーと』チャールズ・デ・リントを受け取る。『ジャッキー、巨人を退治する』の続編である。原書で既に読んでいるので、素早く読み終えたいところだが、まだ『M・D』が終わっていない。
 OTHER WORLDS BOOKSTOREよりカタログ50号着。ここはインターネットはおろかFAXも使えない不便な古書店だ。それでもクレジットカードは使える。そうでなければ私は本を註文してはいないだろう。今号はアーカム・ハウスの本の特集だ。隅から隅まで412冊のアーカム・ハウスの本で埋め尽くされているのだから、喜びの余りなま暖かい夜空(今日は不気味なまでに暖かい)に向かって絶叫しそうになってしまう。が、冷静になってカタログを眺めてみれば、私の財力で購入できそうなものは既に所有しており、残りは欲しくても高くて手が届かない本か、安くても全く興味のないものか、である。買うとすれば、デイヴィッド・H・ケラーの THE FOLSOM FLINT AND OTHER CURIOUS TALES (1969)が$35-45、ウィリアム・ホープ・ホジスンの DEEP WATERS (1967)が$65-100といったところか。フリッツ・ライバーの NIGHT'S BLACK AGENTS (1947)は$75-125とちょっと高い。迷うところだ。
 タキイ種苗より朝顔の種、1種着。今年、購入した朝顔の種はこれで10種となり、未着の種が恐らくあと1種あるので、合計11種となる。朝顔の種が届くたびに妻は私を莫迦にする。私も尤もだと思うので、反論はしない。
『M・D(上)』を読み終え、就寝。


2月12日(月)

 ディッシュを読み進めるがなかなか捗らない。私がデッシュを読むのは、4冊目だろうか。『プリズナー』『人類皆殺し』『ビジネスマン』を読んだ記憶がある。『虚像のエコー』もディッシュだったろうか。サンリオから出たものと、『いさましいちびのトースター』などは読んでいない。『ビジネスマン』の何とも奇妙な味わいが印象に残っているが、この作品が日本で絶賛されているという話は聞かない。


2月11日(日)

 L・スプレイグ・ディ・キャンプ『勇者にふられた姫君』を読み終え、トマス・M・ディッシュ『M・D』を読み始める。ディ・キャンプはちょっと軽すぎた。


2月10日(土)

 昨日、届いたLOCUS 2月号を見ると、1995年の推薦本が載っていた。Science Fiction部門には25冊、私が持っているのは
Valerie J. Freireich TESTAMENT
Neal Stephenson THE DIAMOND AGE
の2冊だけだった。いずれも読んではいない。
 Fantasy部門には22冊、持っているのは
Guy Gabriel Kay THE LIONS OF AL-RASSAN
Sean Stewart RESURRECTION MAN
Elizabeth Willey A SORCERER AND A GENTLEMAN
の3冊のみ、やはり1冊も読んでいない。
 Horror/Dark Fantasy部門には14冊載っていて、持っているものが
James P. Blaylock ALL THE BELLS ON EARTH
Barbara Hambly TRAVELING WITH THE DEAD
Kim Newman THE BLOODY RED BARON
Tim Powers EXPIRATION DATE(本当は数日中に註文予定)、ブレイロックを途中まで読んだだけ。
 昨年1年間、私は一体何をしていたのだろう。
 First Novel部門には16冊載っており、Linda Nagata THE BOHR MAKER、Sharon Sinn THE SHAPE-CHANGER'S WIFEの2冊を所有している。やっと私が読んだ本が出てきた。THE SHAPE-CHANGER'S WIFEである。これは美しいファンタジイだ。その他の部門では当然読んだ本はない。
『ハンガリー民話集』を読み終え、L・スプレイグ・ディ・キャンプ『勇者にふられた姫君』ハヤカワ文庫FTを読み始める。これにはデイヴィッド・ドレイクの「兎にされた姫君」という短いのがおまけでついている。変な本だ。期待せずに読み始めたが以外に面白い。
 トマス・M・ディッシュ『M・D』(上・下)を駅前の本屋で買って帰る。
 帰宅後、紀伊国屋書店にファックスで本を註文する。


2月9日(金)

 世界の本を買えるということで漸くコンピュータとインターネットを認めた私なので、心の底では計算機を憎んでおり、日頃使っているマッキントッシュについても知らないことが多い。こいつを再起動したときにMacHTTPを開くのを忘れてしまう人がいて困っている事態は、起動項目に設定しておけば自動的にMacHTTPが開くのだと、3分ほど前に突然閃いた。もう一つ、最近ここのホームページをyn111ではなくynLLLで開こうとする人がいる(昨晩も結構いたのですね)ということについては、ynLLLというファイルを作って案内板をおけばいいのだと今、気がついた。嫌いなことはなかなか身に付かないものだ。
 どういう訳か数日前から日付を間違えていた。一日得したような、損したような。
 怪奇小説翻訳家の西崎憲氏から電話。「英国短篇小説集」収録作品の翻訳進行状況を訊かれる。半分くらい終わったと云うと驚かれる。他の3人は多い人で一編、少ない人はまだ作品に目を通してもいないそうだ。困ったものだ。しかし、文章は他の3人の方が私より128倍はいい。
 註文する本は決めたものの、忙しくて註文書をWeinberg Booksに送る時間がない。明日こそ註文しようと固い決意をする。


2月8日(木)

 Weinberg Booksよりカタログが来る。今回は、ティム・パワーズ ESPIRATION DATE、ジョゼファ・シャーマン編 LAMMAS NIGHT、フェリシティ・サヴェジDELTA CITYあたりでいこうかと考える。パワーズはイギリスからペーパーバック版を買った方が安いかとも思ったが、近いうちにイギリスの書店に註文する予定もないので、いつものWeinberg Booksで買っておこうという気になったのである。シャーマンのアンソロジーはなんとなく。シャーマンは暫く前から気になっている作家なのだが、まだ一冊も読んでいない。DELTA CITYは3部作だかシリーズものだかの2冊目なのでやめようかとも思ったが、以前ローカスで前作の紹介文を読んで気になった作品なので買っておくことにした。でも、第一巻はまだ買っていないし、何がどう気になったのかも覚えていないのだった。表紙、だったかも知れない。


2月7日(水)

「ハンガリー民話集」を読み進める。不気味な話があって、なかなかいい。
 今週から、英語で読んだファンタジイやSFの紹介文を載せ始めたが、今のところ、昔どこかで使った文章を少し書き換えたものである。少しずつ新しいものを載せていきたいが、時間的に余裕がないので、もう暫く先のことになるかも知れない。


2月6日(火)

「ハンガリー民話集」を読み始める。


2月5日(月)

 朝、来てみるとMacTCPWatcherが開いており、MacHTTPは動いていなかった。二晩も電源をいれっぱなしにして、MacTCPWatcherだけを動かしておくとは、なんという無駄。MacHTTPという文字列とMacTCPWatcherという文字列を同一のものとして認識する頭脳の持ち主がどうやってこれまで生きてきたのかどうしても私には理解できない。
 E・T・A・ホフマン「くるみ割り人形とねずみの王様」(河出文庫)とオルトゥタイ「ハンガリー民話集」(岩波文庫)を買って帰る。


2月4日(日)

 午後から、ヨナス・リー「漁師とドラウグ」のゲラを見て過ごす。2冊の英訳本、ノルウェー語の原書、およびノルウェー語・英語辞典などをひっくり返した末に、一応前半は終了。後半はまだ手元に届いていない。さらに、憂鬱になって就寝。


2月3日(土)

 午後から、ヨナス・リー「漁師とドラウグ」のゲラを見て過ごす。自分の貧弱な文章が情けなく、憂鬱になる。


2月2日(金)

 寒い。
 昼頃から頭痛に苦しむ。午後、早川書房の文庫FT担当の人に電話で連絡をするが、頭痛のため極めて無愛想な口調になってしまう。元々、電話嫌いなのでそういう傾向はあるのだが、頭痛によりそれがひどくなってしまうのである。この人と電話で話すときは何故か頭痛を感じながらのことが多い。


2月1日(木)

 The Magazine of Fantasy and Science Fiction2月号が届く。私が初めて買ったアメリカのSF雑誌だが、購読を始めてから18年で短篇を4・5篇読んだだけである。それでも、きっと死ぬまで(私かF&SFのどちらかが)買い続けるのだろう。今晩はとりあえず書棚の所定の位置に並べて就寝。
 もう一つ、サカタのタネから朝顔の種が5種ほど到着した。種蒔きは3カ月ほど先のことである。


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