学会最終日の今日はベン・オクリ『満たされぬ道 上』を読む。今日は私が指導している大学院生の発表もあるので本ばかり読んでいる訳にもいかない。昼食後、金沢駅へ。小松空港行きのバスが一時間半先だと解って呆然とする。『満たされぬ道 上』を読む。3時40分頃に空港に着くが、飛行機の時間は三時間も先なのだ。小松:福岡間の便は午前午後各一便しかないので仕方がないのである。当然のことながら『満たされぬ道 上』を読む。こういうとき一人だからこんなことができるが、集団で行動していると三時間以上前に空港に行って本を読んで待つなどということはやりにくい。
今日から『恐怖の館』を読む。気が付かなかったが昨日は祝日で、今日は金沢行きの朝の列車は混んでいて本が読めないではないか。金沢駅から学会場へもバスなので本が読めない。学会発表を聴いて眠くなってきたら外に出て、『恐怖の館』を読む。しかし、これは一体何なのだ。さっぱり話が解らない。精神病院に入れられただけのことはある。解らない話に飽きてきたら口演を聴き、眠くなってきたら『恐怖の館』を読む。学会場で学生だった時の指導教授に逢ったので、夕食を食べに行く。教授と別れ、金沢駅に行ってみると松任へ行く列車は30分も来ない。『恐怖の館』を読んで待つ。ホテルに着き、続きを読み読了。最後まで何だか解らなかった。やれやれ。
今日の会場は金沢大学である。以前は城跡にあったのだが、現在は郊外に移転しているのでバスで25分ほどかかる。バスは本が読めないので嫌いだ。無理に読もうとすると2・3分でたちまち吐き気が襲ってくるのでどうしようもない。これで困るのは妻と車に乗っているときである。私は車の運転が大嫌いなのでなるべく妻に運転させたいのだが、知らない土地に行くときは地図を見なければならず、私は地図を読み始めて数分すると「気持ち悪い。う、吐きそうだ」ということになって、「地図を見られないんだから、あなた運転してよね」ということになってしまうのである。そして事故を起こすという訳だ。
学会場に着き、幾つか演題を聴いたころ朝食をとっていないことに気が付いた。二食以上食事を抜くと頭痛が始まると経験的に解っているのでそろそろ食事を摂らねばなるまい。機器展示場の書籍売り場をぶらついていると知人に逢ったので食事に行く。が、すでに頭痛は始まっていたのだった。
食後に口演を聴くのは辛い。忽ち眠気が襲ってくる。話を聴くのは諦めて、外のベンチでJovah's Angelを読む。咽喉が乾くと休息室でジュースなどを飲みながらJovah's Angelを読む。眠くなったら外の空気を吸ってJovah's Angelを読む。
夕方になったのでホテルへ。明日も頭痛に襲われてはかなわないので、ホテルの部屋でとりあえずバンと缶紅茶だけ喰ってJovah's Angelを読む。やっと読み終える。Archangelで明らかにされなかったこの植民惑星の歴史と仕組み、神の正体など総てが解る。Archangelのときは無駄に長いような気がしたが、こちらはそういう感じはなく一気に最後まで読める。あっと驚くようなものはないが実に気持ちのいいSFである。これで来週SFマガジンのSF Scannerの原稿も書きやすくなる。
Jovah's Angelを読みながら地下鉄で福岡空港へ行き、Jovah's Angelを読みながら小松空港へ向かう。しかし、どうも荷物が重いような気がする。文庫本にすればよかった。一時間ほどの飛行で小松へ着く。小松空港から金沢駅へは何と高速バスだ。バスでは本が読めない。45分間も外を眺めて過ごすこととなる。駅について一人で食事を済ませる。まだホテルに行くには早すぎるので学会場へ。特別講演を二題聴く。一眠りするつもりで行ったのだが、話に引き込まれて熱心に聴いてしまった。英語も解りやすい。三題目の演題は聴かずに外へ出る。ホテルは金沢市内にとれなかったので、隣の市の松任市にある。Jovah's Angelを読みながら電車で10分ほどの松任駅でおりてホテルへ。松任は「朝顔につるべとられてもらひ水」という加賀千代の句で有名なところである。八月上旬には二万鉢の朝顔が咲き乱れる千代女あさがおまつりというものもあるのだが、九月下旬にもなるとなにもない。夕食を食べるのを忘れていたが、面倒臭いのでそのままJovah's Angelを読んでから寝る。
明日から読む本を選ぶ。いま読みかけのシャロン・シンのJovah's Angelは外せない。残り150ページくらいだが、それほど時間はかからないような予感がするので最低あと二冊は持っていかねばなるまい。二冊目はレオノーラ・キャリントン『恐怖の館』、三冊目はベン・オクリ『満たされぬ道 上』としよう。これで大丈夫だろうか。下巻も持っていこうかと悩むが大判のペーパーバックにハードカバーが三冊では重すぎるような気がする。思い切って下巻は持っていかないこととする。
SFマガジンの原稿を仕上げて送信。これで安心して学会へ行ける。
図書館流通センターから本が届く。北村薫『ターン』、ベン・オクリ『満たされぬ道 上・下』、レオノーラ・キャリントン『恐怖の館』の4冊である。全部学会に持っていって読書三昧の金沢を満喫したいが、ハードカバー4冊は些か重すぎる。それに、ふと気づくと私は『スキップ』をまだ読んでいない。先にこいつを読んでからにしようか。勿論、本はもう買ってある。
川辺さんという方から書店リンク集に載せている書店のURLの変更などについていろいろと教えていただいた。時々確認しているつもりなのだが、なかなか追い付かない。こういう情報は大変貴重でありがたい。が、今はちょっとリンク集を書き換える時間がないので、画面に反映させられるのは今週末か来週になりそうだ。
「ら抜き言葉撲滅委員会」の参加者は既に四名(私を含めない数字である)。このまま増えて百万人くらいになったらどうしようと思ったが、そんなことには絶対にならないであろう。
4時半起床。慌ててSFマガジンの原稿を書き始めるが、遅すぎる。「空飛び猫」の話を追加して、あと3・4行終わりの言葉を連ねればいいところまで行ったのだが。シャロン・シンのJovah's Angelを手にとって出勤。まだ、220ページである。この本も来週の学会に持っていこう。
頭痛、電話で起こされる、となると翌朝は寝坊に決まっている。慌ててシャロン・シンのJovah's Angelを手にとって出勤。SFマガジンの原稿も書けないし、「ら抜き言葉撲滅委員会ホームページ」を作ることも出来ない。
山尾悠子の『角砂糖の日』(1982年、深夜叢書社、1600円)が届いた。姿を見ると微かに見覚えのあるような気がする。そのとき何故買わなかったのだろうかと思いながら胸を躍らせてページを開くと、これは短歌集ではないか。実は短歌は苦手である。本には活字がびっしり詰まっていないとどうも納得できない。それに何しろ私には歌を味わう心が欠けているのだ。でも山尾悠子だからいいやと思って書棚に収める。明日にでも娘に同じ名前の人だよと教えてやろう。
図書館流通センターから註文した本の発送の連絡がある。土曜日には届くだろう。ということは来週月曜日からの金沢での学会に持っていけるということだ。四日間で何冊読めるだろうか。
このところ朝晩はすっかり涼しくなって、よく眠れるので今日も寝坊してしまう。SFマガジンの原稿を仕上げるどころではなく、慌ててシャロン・シンのJovah's Angelを手にとって出勤。
昼頃から頭痛が始まる。やれやれ。頭痛に苦しむ夕方、職場に小学館の人から電話があり、『大辞泉Macintosh版』について教えてくれた。登録葉書に「「スクリプトエラー;メニューが定義されていません」という警告が出てしまって使えません」と記しておいたのだった。「一部のMacintoshにおいてはCourierというビット・マップ・フォントがないとエラーが出るので、システムのインストーラからもう一度インストールして下さい」という。「Courierはときどき使うので、外したりはしていません」と云ったのだが、絶対そうだから確認して見ろというので、解りましたと答えざるを得ない。帰宅してフォントフォルダを見てみるとちゃんとCourierは入っている。念のため『大辞泉』が正常に動くPerforma6210からフォントをコピーして再起動後、『大辞泉』をインストールして動かしてみるがやはりエラーが出る。わざわざ電話してくれたことには感謝するが、もっとちゃんとしたことを教えて欲しい。頭痛が激しくなったので早く寝る。が、夜中に電話がなって何度も起こされてよく眠れない。といっても、十時前だから正確には夜中ではないのだが。
いよいよ颱風がやって来るようだ。家を出る頃はまだ小雨だったが、職場に着く頃には少し雨足が強まっている。今日の夕方もし帰れなくなったら、シャロン・シンのJovah's Angelをじっくり読むことにしよう。まだ、180ページだから、すぐに読み終わってしまう心配はない。颱風が来ても読む本さえあれば安心である。
山尾悠子の『角砂糖の日』(深夜叢書社)はまだ在庫があり、出版元に電話すると買えると教えてくれた人がいたので、早速電話して註文。電話は大嫌いな私だが、山尾悠子の本のためなら仕方がない。震える手でダイヤルし、無事註文完了。嬉しくて今晩は眠れそうにない。
ル・グインの「空飛び猫」の1〜3を職場の人に借りて帰る。この人は村上春樹が好きな人なので、訳書の「空飛び猫」も持っているのだ。「どうして突然「空飛び猫」を読みたくなったんですか」と訊かれたが、「SFマガジンの原稿で必要になって」と答えられず「まあいろいろあって・・・」と訳の解らないことを云ってしまう。それでも快く貸してくれる優しい人である。寝る前に読み終えてしまい、明日は早起きしてSFマガジンの原稿を仕上げよう、と思ったのだが・・・。
颱風は来そうで来ない。外出する雰囲気ではないので部屋の整理などする。実家送りにする本を選び、床に積み上げる。が、送るのに適当な段ボール箱がないことに気付き、積み上げたまま。全く整理になっていない。書棚を見るとフィリス・アイゼンシュタインの『妖魔の騎士(上・下)』(ハヤカワ文庫FT)があるではないか。数カ月前にこの続編が出たとき、SFマガジンのファンタジイ評を書くために『妖魔の騎士』の内容を確認する必要が生じ、手元に本がないから内容を簡単に教えてくれと早川書房の編集部に電話して訊ねたことがあったのだ。もっとよく書棚を見れば良かった。あの時内容を教えてくれた人はもう早川書房にはいない。知らない人に電話をかけるという行為は私に口では説明できないほどの恐怖をもたらす(知っている人でもかなりの苦痛である)ので、早川書房に電話をかける回数は激減した。
次に机の抽斗の中を整理し一箱空ける。その抽斗を外して、Performa6210を設置する。モニタの位置が低くなって見やすくなり、使わないときはキーボードとマウスを机の下に置けるので、机の上もすっきりする。また、耳に達する音も小さくなるし、配線も殆ど机の下になって綺麗だし、ターミナルアダプタとの距離も近くなりケーブルが引っ張られることもない。いいことづくめである。これは妻の机なのだが、これまで我が妻は「机の抽斗のところにコンピュータを置くなんて絶対に変だ」と強硬に反対していたのである。それでも配置替えの結果を見て考えを改めたようだ。念願のコンピュータ配置替えがやっと実行できて今日は頗る気分がいい。実は私はコンピュータが嫌いなので、机の上にその姿が見えるのが厭なのだ。
SFマガジンのファンタジイ評の原稿をほぼ書き終える。後はル・グインの『空飛び猫』を三冊読んで0.8枚分ほど書き加えればいい。勢いで、SF Scannerの原稿も書こうかと思ったが、3行しか書けなかった。
図書館流通センターに本を註文。
北村薫『ターン』新潮社(1700円)
ベン・オクリ『満たされぬ道 上・下』平凡社(金原端人訳、上下各2800円)
レオノーラ・キャリントン『恐怖の館』工作舎(2600円)
の三冊である。合計9900円。これに消費税が加わる。7000円以上なので送料はなし。レオノーラ・キャリントンは前に月刊ペン社の妖精文庫から翻訳が二冊出ていた作家である。あの時はカリントンという表記だったが。
NHKの7時のニュースを見ていたら、字幕に「ら抜き言葉」が出て来た。マザー・テレサの葬儀のニュースの時である。NHKはもう「ら抜き言葉」を積極的に使用するようになったのか。「ら抜き言葉撲滅委員会」の参加者はその後も順調に増え続け、現在のところ(私の他)2名にまで達した。
昨日の新聞だっただろうか、厚生省が片仮名言葉書換リストを発表したと報じられていた。「ニーズ」を「要望、要請、需要、あるいは国民の求め」へ、「プロジェクトチーム、ワーキンググループ」を「委員会、研究会、検討会、あるいは作業班」へ、「ホームヘルパー」を「訪問介護員」へ、などである。当然であろう。片仮名言葉に新鮮で高級でありがたいといった印象を抱いてしまう舶来品信仰をいつまで持ち続けるのだ。もっと日本語の美しさに自信を持って貰いたいものだ。日本語の美しさに自信を持てない人のための「ら抜き言葉撲滅委員会ホームページ」開設準備は着々と進んでいるので期待していて頂きたい。
『大辞泉Macintosh版』をわが家のPerforma6210で使ってみたら、何と問題なく動くではないか。6400には何か衝突する機能拡張でも入っているのだろうかと考えたが、OS8のインストール用CD-ROMで起動しても同様の(日本語は文字化けしているが)警告が出るので、これは6400固有の問題か。もう私の手には負えないようなので、ひとまず諦める。縦書きは読みやすいし、漢字辞書にもなるし、なかなかいいのものだけに尚更残念である。ただ、あの大きな箱は無駄ではなかろうか。
久しぶりにシャロン・シンのJovah's Angelを手にとって出勤。まだ120ページである。
『大辞泉Macintosh版』を職場で使ってみると問題なく動くではないか。英語版OS8では動かないと云うことか。どうすればいいのだ。
「ら抜き言葉撲滅委員会」設立に関しては思った以上の反響を頂き、感激している。昨日までに賛同の電子メールが1通寄せられている。引き続き委員を募集している。別に何かをやろうっていう訳ではないのでご安心いただきたい。メンバーになったらこの醜い言葉を使った放送局を襲撃しに行かなければならないなどということはないのだ。ホームページくらいは作るかも知れないけれど。
そういえば今朝、本の夢を見た。怪しい秘密組織に命を狙われている私は敵の拠点へ乗り込むのだが、そこは何故か書店である。といっても本など100冊くらいしかなく、明るく飾りもののように本が並べられている。ふと見ると、Ash-Tree Pressの本が何冊も置いてある。しかも値段が安い。1ポンドが50円くらいの値である。ただ、日本独自のカバー(輸入を扱う書店か、その店が独自に作ったものなのだろう)がかけてあるというところが気になる。とりあえず数冊買っておこうと3冊ほど購入し、この店もいつまであるか解らないから全部買っておきたいところだが、あまり沢山本を買うと動きが鈍くなってしまうから困るなあ、などと夢の中とは云え、下らないことで悩んでいるのだった。その後、敵から逃げるために秘密の地下道を駆け抜けたり、迷路のような屋敷を走り回ったりしているうちに、本のことはすっかり忘れてしまったようである。目覚めたとき、勿論私は叫んだ、「全部買っておくべきだった」と。
『アブダラと空飛ぶ絨毯』読了。楽しいが些か子供っぽい。児童書なので当然ではあるが。ただ、『魔法使いハウルと火の悪魔』と比べて、迫力がないような感じがする。
Weinberg Books よりカタログ着。今月は註文したくなる本がなく、些かほっとする。これで今月は少しは本代が少なくなるだろう。しかし、どうやら私はレズニックのWidowmaker Rebornを買い逃したようだ。
今日は日本書籍出版協会が、約53万点の入手可能な本を検索できるデータベースのページを始める日である。『日本書籍総目録』のインターネット版である。朝5時前に見てみたが、まだ開設されていなかった。
これを紹介する9月8日の日本経済新聞によると、七月にインターネットで書籍の註文ができるようにした小学館では二カ月で1万3千人がアクセスし385人が413冊の本を購入したそうである。丸善では会員が1万9千人に達し、この八月の販売実績は9400冊/3千万円だという。一方、紀伊國屋書店は昨年十月にインターネット書店を始めたのだが、初年度の売上は約7億円だそうだ。私が一番よく利用する図書館流通センターは紹介されていない。
昼過ぎに見てみると日本書籍出版協会の検索ページが開設されていた。「あさがお」をキーワードに検索してみると、これまで丸善などの検索で得られた結果より遥かに多い件数が出てきた。これだけで評価を下すことはできないが、キーワード検索の柔軟性が高いということか。
帰宅するとソフマップから『大正の文豪』と『大辞泉Macintosh版』が届いていた。早速インストール。『大正の文豪』は島崎藤村が多いことが解り些かがっかり。長い間絶版状態だったものが何冊も収録されているのはいいことだが、藤村にはあまり関心がないのだった。でも、これから先どうなるか解らないし、まあ邪魔になるものでもあるまい。しかし、問題は『大辞泉Macintosh版』だ。これで22万語が私のものに・・・しかも縦書きで。と、わくわくしながらインストールして開いて見たものの、何と「スクリプトエラー;メニューが定義されていません」という警告がでてしまうのだ。何故だ。
日本放送協会のおはよう5という番組を見ていたら、ら抜き言葉が聴こえてきた。NHKでこんな言葉を聞くとは。これでは何のために地味なNHKの番組を選んでみているか解りゃしない。「ら抜き言葉撲滅委員会」を設立するので参加希望の方はメールをお送り願いたい。
日本放送協会のせいで腹立たしい気分になったまま、『アブダラと空飛ぶ絨毯』を読みながら出勤。
LOCUS九月号着。気が付くとこの号で購読料が切れている。慌てて購読更新のFAXを送る。今はクレジットカードがあるので簡単だ。昔は国際郵便為替か送金小切手を作って郵送していたので、かなり早めに処置しておかねばならなかった。
ラフィク・シャミ『空飛ぶ木』読了。民間説話風。些か説教臭い。言葉が重要な役割を果たす話がないのが少し残念である。
Nescape Navigator 4.03をインストールする。メールが読めなくなってしまった。それにmail toのところをクリックしてもメール送信欄が現れないのが不便である。
昨日開店した丸善福岡ビル店へ行ってみる。混んでいる。店内の案内図の横に売り場案内のおじさんが立っていて、娘を連れていた私を見ると尋ねてもいないのに「児童書売り場はこのエスカレータの裏です」と云う。他の売り場も知りたいので案内図を見ようと近寄ると更に「ここを左に曲がると行けます」と云う。子供連れには海外文学と文庫本の売り場も確認させてくれないのか。仕方がないので、児童書売り場へ行き、娘を置いて店内を回る。欲しかったル・グインの「空飛び猫」の1と2が売っていない。娘も、目当ての本がなく、どうでもいいような本がとりあえず欲しいと云っている。在庫75万冊で九州一だとか自慢する書店だが、混んでいるばかりでいいことはない。
外出する妻に頼んで岩田屋Z-sideで本を二冊買ってきてもらう。ラフィク・シャミ『空飛ぶ木』(池上弘子訳/西村書店/1600円)とダイアナ・ウィン・ジョーンズ『アブダラと空飛ぶ絨毯』(西村醇子訳/徳間書店/1600円)である。
アメリカのSF情報誌LOCUSの会費切れ間近通知が来る。一年80ドルだ。
久しぶりにSFマガジン編集長から電話があってSFスキャナーでシャロン・シンを、ということであった。ARCHANGELのことである。続篇JOVAH'S ANGELも読み終えてから紹介したいものだと思うのだが、間に合うだろうか。今、100ページまで読み進めたところである。残り280ページである。次回のファンタジイ評でとりあげる本は、と訊かれてラフィク・シャミ『空飛ぶ木』(西村書店)とダイアナ・ウィン・ジョーンズ『アブダラと空飛ぶ絨毯』(徳間書店)辺りを、と答えると、ル・グインの「空飛び猫」の三作目も是非と云われる。私は一、二作目も持っていないのだった。これを機会に読むことにしよう。
『坊ちゃん』読了。「のつそつ」という言葉を知る。
『火星夜想曲』読了。これは火星が舞台だと知らずに読み始めることができたら素晴らしいと思うのだが、現実的には無理だろう。読み終えて、自分がこれをどうして面白く感じられるのかよく解らない。うまく言葉にできない。でも、今年2番の傑作であろう。1番は不動の『リトル、ビッグ』である。
昼頃から頭痛が激しくなる。仕事にならないので、自宅から持ってきたCD-ROM『明治の文豪』をついつい読んでしまう。漱石の『坊ちゃん』を最後まで読んだことがないことを思いだし、読み始めるとこれが面白い。仕事を忘れて読みふけっていると回りの人に見つかってしまった。「あれ、何なんですかこれ」という声があがった数分後には4〜5人に取り囲まれてしまっていた。「まあ、こういうものなんで、暇なときには読んでいいですよ」などと云ってその場を取り繕う。頭痛はいよいよ激しくなる。
再び、圧縮OEDを入れた外付けハードディスクを借りて帰り、自宅の外付けハードディスクに移す。問題なく使用できることが解ったが、圧縮せずにハードディスクに入れたときより若干遅いようだ。殆ど小さくならないので圧縮ファイルを使うのは止めようかとも思う。風呂に入って一時的に収まった頭痛が再び始まってきたので、急いで寝る。
OEDの圧縮に再び挑戦。今度は職場へ持っていって、一度ハードディスク上にコピーしてからDiskCopyで圧縮すると、見事にエラーが出ることなく圧縮に成功。しかし、圧縮率は悪く、40MBほどしか小さくならない。8%ほどだろうか。このファイルを外付けハードディスクに入れて、持ち帰ったのだが、何と入れたつもりのファイルが見あたらない。本体のハードディスクから外付けハードディスクに移すのを忘れていたのだった。
『火星夜想曲』はもう少し。何だか誰が誰だか解らなくなってきた。
イアン・マクドナルド『火星夜想曲』がなかなか終わらない。