4月30日(火)

 アシモフ『小悪魔アザゼル18の物語』は半分を少し越えたところまでしか進まなかった。以前、原書で読んだことがあったが内容はほとんど覚えていない。軽い話でそれなりに楽しいことは否定しない。
 書き忘れていたが昨日は西崎憲氏宅を訪れた。4時間ほど蔵書鑑賞をする。数はあまり多くないが、いい本が多い。こういう書棚を見ると如何に自分が無駄な本の買い方をしているかよく解り、深く反省する。
 私が訳したヨナス・リー『漁師とドラウグ』(国書刊行会)が出るのは8月になるらしい。
 書店リストにギリシャの本屋を追加。


4月29日(月)

 飛行機で東京へ。SFセミナー会場でSFマガジンの塩澤さんから書評用のアイザック・アシモフ『小悪魔アザゼル18の物語』(新潮文庫)を受け取る。古本売場でKatherine Kurtz HIGH DERYNI, DERYNI RISING(バランタインブックス・アダルトファンタジイ版)を高橋良平氏に買えと言われ購入。同時にディックのTHE MAN WHOSE TEETH WERE ALL EXACTLY ALIKEを買う。表紙が気に入ったからである。DERYNI2冊については大森望、三村美衣の両氏に馬鹿にされる。
 夜の会場では、煙草の煙に辟易し、早々に就寝を試みたものの、大いびきをかく輩がやってきて10数分おきに目が覚めてしまう。それでも、断続的ながら4時間ほど眠り、雑談部屋に早朝戻るが、はやり煙草の煙が辛く、窓のそばでぼおっと過ごす。
 例年と変わらぬ顔ぶれで朝食を取った後、三省堂本店でドーマーゾ・ランドルフィ『カフカの父親』(国書刊行会)、『E・M・フォースター著作集5 天国行きの乗合馬車』(みすず書房)、長野まゆみ『月の船でゆく』光文社の3冊を購入。ランドルフィと長野まゆみを福岡の家に帰るまでに読み終えてしまった。


4月27日(土)

 二日間何があったのか全く覚えていない。


4月25日(木)

 SFマガジンの原稿を早川書房へ電子メールで送信。
 今日からK・S・ロビンスン『永遠なる天空の調』を読み始める。
 SFマガジン6月号着。しかし、帰宅後抵抗しがたい睡魔に襲われ、うとうとしながら風呂に入り(湯の中で眠ってしまい娘に起こされる)、直ちに就寝。


4月24日(水)

 午前中のうちにペネローピ・ファーマー『イヴの物語』を読み終えてしまい、苦しい午後を過ごす。イヴの物語をユダヤの神話などを元に現代的な視点から再構成したものと云っていいと思うのだが、冒頭の迫力、蛇が語る物語とイヴが見出した自らの物語などは強く心に残るものの、メッセージがあまりにも多過ぎる。頭が悪いせいか、メッセージの多い話は苦手である。
 帰宅後、SFマガジン七月号のためのファンタジイ評の原稿を書く。ケイロース『縛り首の丘』、ファーマー『イヴの物語』、シャミ『夜の語り部』の三冊である。


4月23日(火)

 Fantasy Centreより4月12日に註文した本4冊総てが来る。レ・ファニュのA STRANGE ADVENTURE IN THE LIFE OF MISS LAURA MILDMAYは、CHRONICLES OF GOLDEN FRIARSからの抜粋であった。これなら翻訳があるではないか。その上、表紙はすっかり汚れ、破れ穴が空き、ボールペンで落書きがしてあり、古本屋の価格票がべったりと張りついている。もう一冊のリデル夫人のWEIRD STORIESもレ・ファニュのと同じくvan Thal編のHome and van Thal社から1947年に出た本である。こちらはカバーは付いていない。何だか貧弱な本を2冊買ってしまった。残り2冊はAsh-Tree Press社の本。古い怪奇小説の復刻版を出している書店である。今年、L. T. C. RoltのSLEEP NO MOREも出た筈だが、Fantasy Centreのカタログには載っていなかった。そういえば、今日、西崎憲氏に電話したら、このFantasy CentreのカタログからSir Andrew Caldecottを2冊とL. T. C. Roltを1冊買ったと嬉しそうに話していた。RoltはAsh-Tree Pressから復刻が出たのを知っているが、やはり古い方が味わい深いなどと云っていたので、帰宅後慌ててカタログを見てみたが、Sir Andrew Caldecott2冊は載っているものの、Roltは載っていないようである。別の本屋のことと勘違いしているのか、電話註文するとき店の人にRoltもあるよと云われたのか、あるいは夢でも見ているのか、私にはよく解らない。
 今回の出費は£77.00であった。
 ペネローピ・ファーマー『イヴの物語』は思いの外、捗らない。


4月22日(月)

 ラフィク・シャミ『夜の語り部』を読み終える。千一夜物語を彷彿とさせる「物語についての物語」である。期待せずに読み始めたのだが、予想外に楽しい話であった。
 頼んでおいたペネローピ・ファーマー『イヴの物語』(トパーズ・プレス)が届いた。これも胡散臭い感じがして期待せずに読み始めたが、冒頭20ページまではなかなかいい感じだ。
 東京までの航空券の支払いをする。3万8千円。しかし、SFセミナーって5万円も出して行くところだったろうか。


4月21日(日)

 SFマガジン編集部にお願いしていた書評用の本がまだ届かないので、本を探しに近所の書店に行く。ラフィク・シャミ『夜の語り部』(松永美穂訳・西村書店)を見つけ、購入。夜までに読み終えてしまおうと思ったが、午後の日差しは眠気を誘い、思ったほど捗らない。


4月20日(土)

 テリー・ブルックス『見習い魔女にご用心』(井辻朱美訳・ハヤカワ文庫FT)を受け取る。本文は既に読んでいるので、訳者あとがきのみ。シリーズ中最高の出来であることは、私も賛同できる。


4月19日(金)

『北部九州における方言新語研究』を朝から読みふけってしまい、昼過ぎには読み終える。言葉の変化は私が考えていた速度よりも遥かに速いようである。私のように、頑なに変化を拒み、そればかりか更に時代に逆行する言葉や言い回しを求めていくと、数十年後には若い日本人と全く意思の疎通が出来なくなってしまうのではないかと、不安になった。が、態度を改めるつもりは毛頭ない。
 創元SF文庫のキム・スタンリー・ロビンスン『永遠なる天空の調』を受け取る。訳者の内田昌之氏が送ってくれたもの。今日は無理だが、連休中には読みたい。


4月18日(木)

 書店リストにノルウェーの新刊書店を追加する。フィンランドの書店も調べておこうといくつか回ったが、フィンランド語は皆目見当が付かないのでお手上げ状態である。フィンランド語はインド・ヨーロッパ語族に属さないウラル語の一つ(マジャール語すなわちハンガリー語もそうだ)なので語形から推測するということが全く不可能である。フィンランド語に堪能な人の助けを求む。
 本を2冊買ってから帰宅。中村明『センスある日本語表現のために』中公新書(1994年10月)と陣内正敬『北部九州における方言新語研究』九州大学出版会(1996年2月)である。中公新書の方は題名が気持ち悪いので買うのが躊躇われたが、数ページ立ち読みしてみると欲しくなり買ってしまった。副題の「語感とは何か」が題名だったらよかったのにと思う。もう一冊の『北部九州における方言新語研究』は4635円と些か高く、随分迷ったのだが、折角福岡に住み、生まれてから30年近く聞いたこともなかった言葉に触れて、驚きに満ちた日々を送っているのだからと、思い切って購入。あちこちページを開いて拾い読みしてみただけで、私が日頃不思議に感じていたことが明らかにされており、なかなか面白そうであった。


4月17日(水)

 こんな夢を見た。私は自分の蔵書をもとに作り上げた図書館で働いており、その日は新しい別冊奇想天外のインデックス特集号を棚に並べているところだった。奇想天外って随分前に休刊になっていたはずなのに変だなと思いながらも何故かビニール袋に入っているその本を袋から出し、棚に収めているのである。ふと回りの本を見ると、表紙が破れていたり、床に放り出してあったり、とにかく乱暴な扱いが目立ちはらわたが煮えくり返る思いをしているところに、変なおばさんが現れ、子供が本棚から落ちて怪我をしたので救急車を呼んで欲しいと云うのだった。私は、本は大丈夫か、血が付いたりしなかったかと叫びながら現場へ走った。こどもは8カ月くらいのまだ歩けない乳児で、確かに後頭部に傷があって少し血が出ていた。これくらい何でもないじゃないかと私は云うのだが、念のため救急車を呼んで欲しいとおばさんは引き下がらない。お前らは本の敵だと心の中で叫んで、私は建物を出た。救急車など呼ぶつもりもなく、本を乱暴に扱う者たちを呪いながらあてもなくひたすら歩き続けた。


4月16日(火)

 今日から、シェリ・テッパーのSHADOW'S END。1994年の本である。結構厚い本だが、SLOW FUNERALよりは読みやすいのではなかろうか。
 帰宅するまでにこの本は、20ページまで読み進んだ。初日に20ページとはなかなか順調である。冒頭が一番読みづらいのは誰でも同じであろう。


4月15日(月)

 今日から読む本は、Rebecca OreのSLOW FUNERALに決めた。1994年の本である。
 漸く、ヨナス・リー『漁師とドラウグ』の再校を郵送。ほっとしたところで、一気にSLOW FUNERALを読もうと思ったが、どうもうまく読み進めることが出来ない。3ページほどで挫折。
 夕方、早川書房のSFマガジンの人に電話して、書評用の本の手配をお願いする。福岡市で一番大きい書店に行っても見つからなかった本である。東京の大規模書店へ簡単に本を探しにいける範囲に早く引っ越したい。が、そのための職探しは困難を極め、辛い日々はしばらく続きそうである。


4月14日(日)

 日曜日は本は読めない。終日、部屋の改装と掃除。本棚の増設を伴わない部屋の改装は疲れるだけである。夜、ガーネット「悪魔法王」の翻訳をやろうとするが、5行で力尽き、就寝。


4月13日(土)

 久しぶりに紀伊国屋書店とリーブル天神に本を探しにいくが、時間がなく、本をじっくり選べなかった。せっかく、本屋に来たのに手ぶらで帰る。
 ヨナス・リー『漁師とドラウグ』の再校を漸く終える。が、郵送するのは月曜日となってしまう。


4月12日(金)

 カタログが届いてから4日目は些か遅いような気もするが、Fantasy Centreに註文。今回はAsh-Tree Pressから出たR. H. Malden NINE GHOSTSとEleanor Scott RANDALL'S ROUND、さらにLe Fanu A STRANGE ADVENTURE IN THE LIFE OF MISS LAURA MILDMAYとMrs. J. H. Riddell WEIRD STORIESの4冊である。Ash-Tree Pressのは新刊書。R. H. Maldenの本は題名通り怪奇小説集。1943年に出た本の復刊である。Eleanor Scottというのは聞いたことがないが、M・R・ジェイムズとE・F・ベンスンと肩を並べる作家だと褒める人もいるとカタログに書いてあるので、本当だろうかと疑いながらも註文しようと決めた。レ・ファニュは内容は全然知らないが、ひょっとしたらガヴァネスが主人公の話かななどと思い註文した1947年刊の本。リデル夫人は怪奇小説のアンソロジーでよく名前を見かける人である。前のレ・ファニュの本と同じ出版社から1946年に出た本だ。4冊合わせて66ポンド50。でも、古本2冊は売れてしまっている可能性が高いので、多分Ash-Tree Pressの2冊しか買えないのではなかろうか。希に註文した本が総て買えてしまって、嬉しいながらも請求書を見て悲鳴を上げることがある。
 ケイロース『縛り首の丘』(白水社)を夕方には読み終える。ポルトガルの作家の本である。期待して読んだが、あまり強くは印象に残らない作品だった。
 帰りの電車の中では読む本がなく辛い思いをする。もう一冊持ってくればよかった。帰ってから、『やさしさの精神病理』をぱらぱらとめくっているうちに読み終えてしまった。


4月11日(木)

『ガヴァネス』を昼過ぎに読み終える。これまでヴィクトリア朝イギリス小説にガヴァネス(女家庭教師)が頻繁に登場することには気づいていたが、それがどういう立場でどういう境遇の人なのかよく解らないまま作品を読み進めていたのである。これでやっと理解できた。納得できた。そして、ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』やJ・シェルダン・レ・ファニュ『アンクル・サイラス』をもう一度読みたくなった。
 その後、『やさしさの精神病理』を帰宅するまでに半分あたりまで読む。2冊持って家を出て本当によかった。帰宅すると図書館流通センターから本が届いていた。『魔法の王国』は目次を見て、大失敗だったと知る。残りは面白そうなので機会があれば総て読みたいが、とりあえず急いで『縛り首の丘』を読まねばならない
 職場の新入医局員歓迎会という極めてつまらない会で酒を飲んで帰宅したので、届いた本を確認して、頭痛の始まる前に急いで就寝。


4月10日(水)

 今日から読む本を選ぶのに悩む。今日か明日には図書館流通センターから本が届くので、1日か2日で読み終えられるものが望ましい。また万一読み終えられず他の本を優先しなくてはならなくなってもあまり辛くないものがいい。一晩悩んだ末に、中公新書の大津留厚『ハプスブルクの実験』にする。去年の1月に出た本である。いつ買ったのかは全く記憶にない。これを読みながら出勤。
 職場に着くとまた、ここの回線が不通になっている。理由は知らない。ほうっておけば直るであろう。
 方っておいたら10時過ぎには復旧。
『ハプスブルクの実験』を夕方には読み終える。ハプスブルグものは近頃結構多いので、さほど驚くような発見はなかったが、改めてハプスブルグ家の興味深さを実感できた。
 ところが、図書館流通センターからはまだ本は来なかった。明日も、一日で読み終わる本を選ばなければならない。しかし、夕方までに読み終えてしまうと帰りの電車の中で辛いので、明日は『ガヴァネス』(中公新書)と『やさしさの精神病理』(岩波新書)の2冊を持って出かけよう。
 Other World Bookstoreからカタログが来たが、欲しいものはない。あと、紀伊国屋書店からI FEELとかいうものが来たのだが、こちらも本の掲載が少なく欲しいものはなかった。
 夕食後に頭痛の兆しを感じ、娘と一緒に8時半に就寝。


4月9日(火)

 Weingberg Booksに註文。Michael Williams ARCADY、Richard Garfinkle CELESTIAL MATTERS、Connie Willis BELLWEATHER、William M. Timlin THE SHIP THAT SAILED TO MARS、George Herman THE TEARS OF THE MADONNAの計5冊。ARCADYは広告を見たとき表紙が気に入ったので。CELESTIAL MATTERSはSF情報誌LOCUSの書評と、カタログのA very strange novelという言葉に惹かれて。strangeだとかunusualなどという記載を見ると必ず註文してしまう。BELLWEATHERはなんとなく。THE SHIP THAT SAILED TO MARSは1923年に出た有名な挿し絵本の復刻版。日本語版も何年か前に出ており、それを持っているのでどうしようかと迷ったが、念のため買っておくかと思い、註文。15ドルと安いことだしまあいいかという気持ちもあった。THE TEARS OF THE MADONNAはレオナルド・ダ・ヴィンチと写真のような記憶力を持つ侏儒ニッコロが主人公の推理小説。つい買ってしまった本の典型である。送料と併せて今回の支払いは86ドル59セントとなる。何だか私はインターネットを使って本を註文せず、郵送されてくるカタログからばかり買っているような気がする。郵送されるカタログにはどうでもいい本を註文させる魔力がある。数万冊の在庫をインターネットを利用して検索すると、こういうどうでもいい本は何百冊もあるから決して註文しようと云う気にはならないが、タイプ打ちの10ページくらいのカタログだと「せっかくカタログ送ってくれたんだから1〜2冊くらいいいか」という気持ちになってしまうものだ。
 読み進めていた『死の蔵書』を昼過ぎに読み終えてしまう。こうなることは朝から解っていたのだが、ちょっと寝坊し今日から読む本を選ぶ時間がなかったのだ。本が沢山出てくる話を読むと気持ちがいい。とは云っても、この殺人事件の動機は本への愛情よりも金への執着の方が強いから、あまり愛書家の異常性は感じられない。そこが、些か寂しいような気もしたが、また逆に気持ちよく読み進められたのはそのせいかも知れない。異常心理の話はそんなに読みたくないというのがこの頃の心境である。
 読むものがなく苦しんでいると、大学生協に註文した『バッハ全集第1巻』が届く。早い。早過ぎる。突然の2万5千円は辛い。第1巻は教会カンタータばかりで、同じ演奏で既に持っているCDが多く、些か損した気分でもあるが、嬉しいことには変わりない。
 夕方、図書館流通センターから、註文した本の発送の連絡がe-mailで入った。早ければ明日、遅くても明後日には着くであろう。註文してからほぼ一週間。文庫本を註文するとやや遅くなるような気がするが、気のせいか。


4月8日(月)

 ロンドンのFantasy Centreからカタログが来る。何冊か古い怪奇小説作家の本で欲しいものがあるが註文書を書く時間がない。その何冊かのうちのいくつかは西崎憲氏に取られてしまいそうな気がしないでもない。東京の方がロンドンからの郵便物が一日早く着くようなので、カタログを受け取った瞬間に註文を済ませてしまっていれば私に勝ち目はない。しかし、あの人もそんなに素早く註文する人でもないから必ずしも取られてしまうとは限らない。もちろん、同じ本を欲しがっているとは限らない。ちょっと電話で確認してみようか。
 Weingberg Booksの方も明日には何とかしたい。


4月7日(日)

 午後から『漁師とドラウグ』を見る。相変わらず文章はぎこちなく、意味の通らないところも多い。訳者あとがきのノルウェー語の綴りに多数の誤りを発見する。横で見ていた妻は、「『漁師とドラウグ』??? そんな題名じゃ誰も買わないんじゃない。ドラウグなんて言葉を知っているのは日本に10人くらいしかいないんでしょ。どうにかならないの。『ノルウェーの海』にでもすれば『ノルウェーの森』の続編と勘違いして買う人もいるでしょうに。実際、ノルウェーの海の話なんだから」と云う。
 が、書名は私が決めるのではない。
 さらに、訳者あとがきを読んで続ける。「このテキストって何。普通の日本人の99%はテキストっていえば教本のことだと思うのよ。あなたがノルウェー語の勉強をしようとしていると思われるからやめたら。原典とか原書って書けば? テクスト? それなら少しはいいかも知れないけど」
 なるほど。腹が立つが妻の云うことにも一理ある。


4月6日(土)

 今日から『死の蔵書』を読み始めるが、休日は家族と過ごしたり翻訳をしたりするんので、読書は殆ど出来ない。
 国書刊行会からヨナス・リー『漁師とドラウグ』の再校が届く。ざっと目を通し、少し落ち込む。


4月5日(金)

 今日から何を読もうかと悩み、出勤直前にジャン=ジャック・フィシュテル『私家版』(東京創元社)を手に取り家を出る。もっと早く読もうと思っていたのだが。昨年9月に出た本である。
 ところが、これも夕方には読み終わってしまい帰りの電車の中では退屈な7分間を過ごす羽目になった。
 帰宅するとRobert Weinberg Booksからのカタログが届いていた。何を註文するか一晩では決められそうにない。ここは休日は註文を受け付けてくれないので、FAXは来週火曜(時差があるから)にすることになろう。


4月4日(木)

 ジャン=ジル・モンフロワ『消えた印刷職人』(晶文社、1900円)を今日から読むことにする。
 書店リンクのページにロシアとイタリアの書店それぞれ一軒を追加する。私の知る範囲ではイタリアがヨーロッパでは圧倒的に多い。何故だろうか。イタリア語を学んでみたくなっているこの頃である。
 『消えた印刷職人』はなんと夕方には読み終わってしまった。題名から、印刷職人の謎の失踪事件が発端となる推理小説風展開となる話かと想像していたら大間違いで、出版の搖籃期のある印刷職人の辛く寂しい人生を綴った話だった。予想とは随分違っていたが、つまらなかった訳ではない。
 帰宅するとLOCUS4月号が届いていた。H・L・ゴールドとリチャード・パワーズの死を初めて知る。


4月3日(水)

 ロシア語の表示はできるようになったが、WWWの検索画面へのキリル文字の入力がうまく出来ない。それでもラテン文字で検索し、ロシアの書店を一軒見つける。このところスペイン語圏、東欧諸国の書店を探しているが、殆ど進展なし。
『ブラヴォー、ゼバスティアン』を読み終える。堅苦しく考えずに読むべき楽しい本である。アンナ・マグダレーナの出番が殆どないのが些か寂しい。


4月2日(火)

 図書館流通センターに『白衣の女(上・中・下)』『ホワイトチャペルの恐怖(上・下)』『縛り首の丘』『魔法の王国』計7冊を註文する。コリンズの『白衣の女』は国書刊行会版を持っていなかったような気がするので念のため買っておこうと思い註文。『ホワイトチャペルの恐怖』は贋作ホームズであるが、以前原書のハードカバーを見て、表紙と題名が気に入って購入したものの全く読んでいなかったので本当に読むかどうか自信はないが思い切って註文。『縛り首の丘』は聞いたことのない作者の、白水社から出た本。面白そうではある。『魔法の王国』は面白そうではないのだが、今月はSFマガジンのファンタジイ評で取り上げる本が全く見あたらず困っているので、些か自棄になって註文。しばらく前から図書館流通センターのオンライン註文が少し変わり、いちいち書籍番号やらを打ち込まなくてもいいようになって、便利なようだが実際使ってみるとかえって時間がかかりいらいらする。時間がかかる理由は自分で使っていてもはっきりとは解らないのだが、移動するページ数が前より多いためかも知れない。もう一つ、本の送付方法を選べるようになり、註文した本が総て揃ってから送ってもらう方法と、一部入荷が遅れる本がある場合は入荷分だけ先に送ってもらう方法である。送料がちょっと違う。
『バッハ全集第1巻』(小学館・28000円)は、大学生協に註文してしまった。一割引の魅力には抵抗しがたい。


4月1日(月)

 昨日からNetscapeでロシア文字(キリル文字)の表示ができるようにしたが、書店探しにはあまり役立ちそうにはない。私がロシア語が読めないからだ。<本>をロシア語で何というかくらいは知っているが。


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