宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]をやうやく読み終へる。補論2ではAKB48とか出てきてよく判らなかった。
何もかもよく判らないことばかり。村上春樹とオーウェル『一九八四年』は読んでゐるから判るが、その他はほとんど知らない。でも、名前だけは知ってゐる。いや、名前だけでなく、かういふ本を読むたびにその内容や影響などが少しづつ頭に入ってくる。何一つ現物を読んだり観たりしないまま、周辺知識だけは蓄積されていく。これも実は面白い。自分が住む日本のことなのに、どこか遠くの国の流行のことを紹介記事だけ知ってゐる気分になるのに似てゐる。前から「セカイ系」なんていっても一つも知らないし、「空気系(日常系)」と云はれてもさっぱり判らない。それでも、作品名やそれらの位置づけだけは何となく蓄積されていく。自分の住む国の「いま、ここ」を「ここではない、どこか」へ変貌させることができるのだ。
「ここでない、どこか」から「いま、ここ」へ、という話はいま初めて聞いたわけでもないし、考へたわけでもないと思ふのだが、頭から消えてゐたのでこの本を読んでいろいろ考へられてよかった。。確かに、一人一物語時代になれば、小さな物語は「いま、ここ」の話になるのは当然か。だとすれば、遠い世界を描き続けてきた異世界ファンタジイの、特に翻訳作品が求められなくなってくるのは意外でも何でもないといふことにならうか。どうしてこういうことをSFMの原稿に書かなかったのか。
といふのは私の勝手な都合でこの本の価値とはまた別の話なのだが。
しかし、さう何でもビッグ・ブラザーとリトル・ピープルで話をまとめられるのだらうかといふ気はする。話は変はるが今日の電車の中でオーウェルの『一九八四年』を読んでゐる人がゐた。男性。年齢は二十代後半か。残り百ページくらゐだ。もちろん、新しいハヤカワepi文庫版。カバーを外して裸の状態にして読んでゐた。いや、ただそれだけ。
Better World Booksから、Derek A. Roff Introduction to Computer-Intensive Methods of Data (Cambridge University Press)が届いた。読むのは明日から。
宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)は残り九十ページ。「ハルヒ」とか「らき☆すた」とかが出てきてよく判らない。
激しい眠気と右肩の痛みに襲はれ、もう今日は書けない。
今日の電子化本。
◆J・K・ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 下』(静山社/二〇〇四年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
今日はこれだけ。この本は上下巻で一つのISBNなので、ISBNに基づいた情報検索を活用するならば、上下巻で一ファイルにしなければならない。この本は247 MBにもなってしまった。やれやれ。
今日も少し宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を読む。仮面ライダーの話が続いてゐてよく判らない。それにしても、どうして村上春樹のことを春樹と略すのか。一度気になると気になって仕方がない。どうして村上ではないのか。蓮實重彦は蓮實なのに。ジョージ・オーウェルがオーウェルでなくてジョージだったら気持ち悪い。
ビッグ・ブラザーについて考えてみる。そして科学について。ビッグブラザーがいなくなって大きな物語が世界を説明してくれなくなったとき、人々は小さな物語で世界に向かったのだという。大きな物語は人々の間で共通認識を形作ることができたが、小さな物語にはそれはできない。イデオロギーに基づく大きな物語が世界を説明できなくなったとき、科学がその役割を担うべきだった。なぜなら、本来科学は世界を説明するためにあるのだから。科学は人々の役に立つためにあるのではなく、人々を幸福にするためにあるわけでもない。世界を説明するためだけにある。少しでも役に立って人々を幸福にするためにあるのは技術であろう。
一人一物語時代にあって、物語による世界理解は不安を伴ふものになった。共通理解が難しいからだ。共感も難しい。一人の物語を他者が共有してゐないから。「終はりなき日常」が終はったとき、自前の物語では物足りない、あるいは、自前の物語が貧弱で世界に対応できなくなったのかもしれない。しかし、世界を説明してくれるイデオロギーに基づく物語はない、あるいはビッグブラザーはもうゐない。そこで、ビッグブラザーさへゐてくれればと思ふやうになっても何の不思議もないように思へる。かうしなさいと指示してくれる存在がゐれば安心できるわけだ。もしもそれがよくない結果をもたらしたら、その存在を非難すればいいのだから、それはそれで安心なのだ。自分で決めなくていいといふのはそれほど人々に安らぎをもたらすのだらう(多分)。しかし、それでもビッグブラザーはゐない。ならば無理矢理作り上げよう。もともとビッグブラザーとは無理矢理作るものだったのではないか。さうして生まれるのが陰謀論なのではないだらうか。みんな気づいてゐないようだが、世界の出来事の背後には大いなる存在があるのだ、それが何もかも操ってゐるのだ、私とごく少数の人たちしか気づいてゐないようだが……といふわけだ。好みに合ふ陰謀論に出会はなくても、自分の物語を補強する意外な話題を求めてしまふ。それがさまざまなデマやニセ療法などが盛んに人々の間を流れていく。残念ながらその手の話は人々の不安を多少なりとも和らげてくれるのである。本当は科学的な思考で対処しなければ安全は確保できないのに。どうすれば科学が不安に対処できるやうになるのかは私には判らない。
読み返すとちょっと気持ち悪い文章だ。
パトリシア・A・マキリップ『風の竪琴弾き』(脇明子訳/創元推理文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]をいただきました。ありがたうございました。《イルスの竪琴》第三巻。完結篇である。
今日の電子化本。
◆大平健『やさしさの精神病理』(岩波新書/一九九五年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆雨宮処凛『ロスジェネはこう生きてきた』(平凡社新書/二〇〇九年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆中島義道『不幸論』(PHP新書/二〇〇二年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆吉冨康成『ニューラルネットワーク』(朝倉書店/二〇〇二年)
今日も少し宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を読む。村上春樹やオーウェル『一九八四年』は読んだことがあるからいいが、第二部に入って、平成ウルトラマンとか平成ゴジラなどといふ言葉が出て切るともうさっぱり判らない。巨大ロボットアニメも観たことがないし、『エヴァンゲリオン』も観たことがない。それでも最後まで読む。
ところで、本書では繰り返しビッグ・ブラザーは死んだといふのだが、本当にビッグ・ブラザーは死んでしまったのだらうか。今までよりも巧妙に隠れてゐるだけではないだらうか。そして、そのビッグ・ブラザーを待ち望んでゐる人たちもゐる。多分。何でも決めてくれる存在である。世界を物語に基づいて説明してくれる。陰謀論も一種のビッグ・ブラザー待望論ではないのか。目に見える世界の背後でこの世界を操る存在がある。それに現れて欲しいといふのが陰謀論なのではないだらうか。
今日も肩が痛い。そんなわけで、左足がだいぶ器用になってきて、ダブルクリックボタンとかコントロールキーボタンとかを押したり、スクロールしたりができるやうになった。あまり進歩がないのが右足。もう少しマウスが滑らかに動くやうになればいいのではないか。滑らかに動く巨大マウスパッドはどこで売ってゐるのか。
今日の電子化本。
◆遠藤周作『おバカさん』(角川文庫/昭和三七年)
私が持ってゐるのは、昭和五〇年の三四刷。かなり紙が褐色になってゐる。
◆吉本佳生『金融広告を読め』(光文社新書/二〇〇六年)
中のページに色を使って例題広告を示してゐたりするので、スキャンが面倒臭かった。
今日も少し宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を読むが、休みの日はあまり捗らない。
Amazon.comにKindle版の、
○Mikkel Birkegaard The Library of Shadows (Transworld Publishers, September 6, 2010) [Kindle, Amazon.co.jp
, 紀伊國屋]
を註文。もとはデンマークの小説で、これはその英訳である。デンマーク語が読めないから仕方がないのだ。本を使って人の思考・意思を操るらしい。20年も会ってゐなかった父親が惨殺されて主人公はコペンハーゲンに或る古本屋Libri di Lucaを相続した。家族の過去を探っていくと……といふ話だと思ふ。
今日の電子化本。
◆『声に出して読みてゃあ名古屋弁』(すばる舎/二〇〇二年)
◆山口真美『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』(平凡社新書/二〇〇六年)
◆池田清彦『寿命はどこまで延ばせるか』(PHPサイエンス・ワールド新書/二〇〇九年)
◆春日武彦『問題は、躁なんです』(光文社新書/二〇〇八年)
◆西田公昭『だましの手口』(PHP新書/二〇〇九年)
◆石原千秋『大学生の論文執筆法』(ちくま新書/二〇〇六年)
明日、早起きしなければならないので、これで。
宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を手に取って出勤。まだ最初の方。村上春樹の作品を軸に話が進むやうなので、それなら読んだ本が多いから知らない本の話ばかりにならないだらう。『一九八四年』も読んでゐる。ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへといふところから話は始まる。
さういへば、私が初めて読んだ『一九八四年』では、「偉大な兄弟」と呼ばれてゐたので、つい今でもさう呼びさうになる。いや、別に面識があって呼びかけてゐる訳ではないけれど。
その偉大な兄弟だが、さういふ「大きな物語」が死んでしまって、今は「終りなき日常」で「小さな物語」を生きてゐるといふのが日本の現代だったのだが、それが三月十一日以来、非日常と日常が緊張感を孕みながら混在する日々が続いてゐる認識からこの本は始まる。
ここでこの本から離れてしまふのだが、結局私たちは(私はさうでもないけど)偉大な兄弟のゐない世界には耐へられないのかも知れない。一人一物語の世界に生きてゐると、何でも自分で物事を評価して世界にはめこんでいかなくてはならない。だが、国や政府に決めてくれ宣言してくれと求める場面が多すぎる。そして、文句だけはいう。本当は文句の云えないほど、何でも決めてくれる偉大な兄弟を求めてゐるのではないだらうか。何でもはっきりと迷はず決めてくれる偉大な兄弟を。
この程度の放射線量は危険なのかさうではないのか、今は誰も答へてくれない(断言してくれるのは怪しい狂信者みたいな声ばかりである。癌で死ぬ確率が30%から31%に増える。それが危険と認識するかどうかは自分で決めてくれとしか云ってくれない。そして自分が癌で死ぬときに、それがもともとの30%の方なのか、増えた1%の方なのかは決して判らないのだ。それに1%だってよく判らない。32%かも知れないし33%かも知れない。そしてやはり自分が死ぬときにはもともとの30%に入ってゐるのか、増加分の数%に入ってゐるのかは判らない。そんな状態には耐へられない。どうすべきか決めてくれといって偉大な兄弟を求めるのだらう。ゐるとうるさいが、ゐないと不安で寂しいのか。
さっき私たちはと書いたが、私は嫌だ。測定値だけを教へてもらひたい。偉大な兄弟には何も決めてもらひたくない。真っ平御免である。
紀伊國屋書店に、
○Leslie Geddes-Brown Räume für Menschen, die Bücher lieben (Deutsche Verlags-Anstalt, 30. August 2010) [Amazon.de, Amazon.co.jp]
を註文。本好きの人のための部屋作りみたいな内容だらうか。中身は四部構成になってゐて、Mit Büchern wohnen、Mit Büchern arbeiten、Mit Büchern einrichten、Mit Büchern inszenierenといった具合。写真はいいが、ドイツ語の本文は読めないなあと思ってふともう一度画面を見ると「翻訳者」の名前があるではないか。なんと、これはもともとドイツ語の本ではなかったのか。Books Do Furnish a Roomだった。値段は一割程度高いくらゐだが、英語だったら読めたのに。大失敗である。これを機会にドイツ語を勉強しよう。
ドイツ語に懲りずに、今度はAmazon.deに、Die schönsten Bibliotheken der Welt 2012: Wandkalenderを註文。これはカレンダーだから、読めなくてもいいのだ。送料込みで三千円くらゐ。世界の素敵な図書館の写真が十二枚。これは元の写真集があるから、それを買へばいいのだけど、本は壁に掛けられないから。
この日記の縦書きのページがなくなってゐる。しかし、今は作り直す元気はない。実はどうやって作ったのかもはや覚えてゐない……
今日の電子化本。
◆『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 上』(静山社/二〇〇四年)
この本は上下巻で一つのISBNしか与へられてゐないのか。
◆ 中島義道『「人間嫌い」のルール』(PHP新書/二〇〇七年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
アーシュラ・K・ル=グウィン『いまファンタジーにできること』(谷垣暁美訳/河出書房新社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を読み終へる。後半の、ファンタジーにメッセージを求めるなといふところは興味深い。これはトールキンやルイスが、ファンタジーに寓意・教訓を求めるなと云ってゐたのとほぼ同じことだらう。さういふメッセージでまとめることは、ファンタジーを矮小化するといふ意見には私も全面的に同意できる。何か現実世界に重ね合わせることのできるメッセージが作品を奥の深いものにするといふ意見もあらうが、私は矮小化するといふ方に与したい。書評など書く人にとっては、メッセージを読み取れば、作品をうまくまとめやすいし(それが矮小化であるわけだが)、うまく作品を読み取りましたといふやうな雰囲気を漂はせることもできるので、さうしがちになることも理解はできる。しかし、それで安心してはならないのだ。
Amazon.comでKindle版の本を購入。
○Nnedi Okorafor Who Fears Death? (Dow, 2010) [Kindle, Amazon.co.jp]
○Kate DiCamillo The Miraculous Journey of Edward Tulane [Kindle, Amazon.co.jp]
である。Okoraforのは、以前の自分のメモに購入せよと書いてあるのだが、どうしてさう判断したのかもはや判らない。過去の自分の判断を信用するしかない。前は日本ではKindle版を購入できなかったやうな気がするのだが、今日はできた。DiCamilloは児童書。Amazon.comからKindle大安売りのメールが来て、US$1.39だったのでつい買ってしまった。108円である。しかし、無駄ではないか。しかもこの本、邦訳もあるのだ。たとへ百円といへども無駄遣ひである。深く反省する。どうせ読まないくせに!
今日の電子化本。
◆J・K・ローリング『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(静山社/2001年)
◆塩満典子・室伏きみ子『研究資金獲得法』(丸善/2008年)
アーシュラ・K・ル=グウィン『いまファンタジーにできること』(谷垣暁美訳/河出書房新社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を読み始める。今回は、子供向けとヤングアダルト向けの作品の話が多い。最初に、広く一般に読まれてゐるファンタジイに疑問を呈して話を始めてゐる。1、登場人物は白人である。2、ファンタジーランドは中世である。3、善と悪の戦ひに関する話である。どうしてさうなのか、何の疑問も抱かずにさうなってゐるやうだが、そんなことはないのではないかといふ疑問である。2と3については私も常々不満に思ってゐて、さうでない作品を好んでゐたのだが、1は気にならなかった。それはおそらく日本ではファンタジイは西洋のお伽話だから白人でいいのだらう。西洋自体が日本人にとっては夢の世界だったのだ。遠い夢の世界だったのだ。さらに時間を遡って遠くへ離れれば、すなはち中世ヨーロッパの雰囲気に満ちてゐれば、日本人にとってはもう憧れの夢の王国である。だから、白人が主人公で中世ヨーロッパふうの城に住んでゐたりしていいといふより、さうであるべきなのだ。ディズニーランドを見ればよく判る。中世ヨーロッパ風の城があって白人のお姫さまがゐる訳だ。決してその城には天守閣はないし、お姫さまはドレスを着てゐても十二単は着てゐない。それが私たちにとっての異世界の距離感だといふ話はもう前に書いた。
「備忘録」を少しづつ再開する。久しぶりで、戸惑ってしまった。自家製のシステムなので説明書がどこかにあるわけでもないから、画像の貼り方とか、そんなに親切でないので。基本的に以前と同様に自分の備忘録なので、特別なことはしない予定。
本のニュースを並べるページのための自動情報収集スクリプトも機能しなくなってゐたので、少し修正して復活させる。こちらはもう少し手間をかけずに情報を追加する方法を考へた方がいいと思ふのだが、どうしたらいいのかよく判らない。
SFマガジン2011年10月号(早川書房)[Amazon.co.jp]をいただきました。ありがたうございました。特集は前号からの続きで、《SFスタンダード100ガイド Part2》。
スキャナで読み込んで電子化する時間が今日はなかった。
森博嗣『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]読了。科学は人々の幸福のためにあるといふこと以外はほぼ同意できる内容であるが、特に新しい発見などはなかった。いつも書いてゐるやうに、新しい発見がなくても自分の考へをまとめる意味がある本もある。幸福については、科学の進歩が本当の人の幸福を蔑ろにしてゐると糾弾されることがあることに対する反論としては判らないでもないが、本来科学は真実を知りたいといふことが根底にあるのであって、それが幸福をもたらすのか不幸に結びつくのかといふことは、そもそも関心外ではないか。
自分の目で見たことしか信用しないといふ態度に関しては本書でも問題視してゐるが、この経験至上主義みたいな風潮はいつ頃生まれたのだらう。自分の目をそんなに信頼する図々しい態度は理解しがたい。それよりも、私には、さういふ経験至上主義は人々が物語を生きるやうになったのと強い相関があるのではないかと思ひ、それこそ科学不信・科学嫌ひの根底にあるのではないかと疑ってゐる。
この「体験至上主義」といふのは誰かが忌忌しげに書いてゐたのをどこかで読んだことがあるのだが、あれはだれだったのだらう。
今年の一月に面倒臭くなってやめてしまった「備忘録」を利用してゐたので復活させよ云はれたので検討中。もはや誰も見てゐないと思ってゐたのに。利用価値があると思ふ人が一人でもゐれば続けたい。
本のニュースを並べるページも仮死状態になってゐることを思ひ出し、こちらも何とかしたいと思案中。
Amazon.comでKindle版の本を購入。
○M. Henry Stevens A Primer of Ecology with R (Springer, 2009) [Kindle版, Amazon.co.jp]
Springer社の本をKindle版で買ったのは初めて。以前はSpringerのサイトでpdf版が買へたやうな気がするのだが、今はpdf版はないやうだ。オンラインで読める仕組みがあるものの、値段が高い。今のところKindle版が安いと思ふ。Amazon.co.jp他で紙の本を買ふと六千円以上するが、これなら四千円程度で買へる。
今日の電子化本。
◆J・K・ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(静山社)
◆カール・J・シンダーマン『サイエンティスト ゲーム』(学会出版センター)
アーシュラ・K・ル=グウィン『いまファンタジーにできること』(谷垣暁美訳/河出書房新社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を訳者の谷垣暁美さんからいただきました。ありがたうございました。明日から、早速読みたい。
紀伊國屋書店から、鴻巣友紀子『全身翻訳家』(ちくま文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]、宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]、森博嗣『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]、『サイエンスコミュニケーション』(日本評論社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]、ひこ・田中『ふしぎなふしぎな子どもの物語』(光文社新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]が届く。妙に字が大きい幻冬舎新書をKindleに入れて読んでみよう。
今日の電子化本。
◆加納朋子『スペース』(創元推理文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
一昨年五月に読んだらしい。「忘れがたい印象を抱いて本を閉じる」なんて読んだ日の日記に書いてあるが、忘れてしまった。忘れがたいんぢゃなかったのか。
◆J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
有名なシリーズ第一作。初版(初刷)だが、どれくらゐの数が出たのかは知らない。さういふことにあまり価値を見出してゐないから、問答無用で裁断する。今日から一巻づつ切っていく。手に取ってみたら、あまり綺麗でなかった。当時中学生だった娘が読んだからか。スキャンしてしまへば周囲が汚れてゐたことなど消えてしまふのだ。
◆森博嗣『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書)
今日届いた本をいきなり切ってしまった。ページを開いてみたら、字が大きい。新書は文庫本と違って高さがあるからスキャンしてKindleで読むと字が小さくなってしまって読みにくいだらうと思ってゐたのだが、これだけ字が大きかったら少々縮んでも大丈夫だらう。さう思ふほど字が大きかったのだ。周辺の空白はAcrobat ProのCrop機能で削除して、空白部分に染みがあっても字がKindle画面上で字が小さくならないやうに多少は気をつけてファイルを作った。Kindleの画面に表示させてみて、問題なく読めるといふ確証を得た。
早速、『科学的とはどういう意味か』を読み始める。科学は考へ方であるとか、理系の人は暗記が嫌ひだとか、いちいち尤もな話ばかりである。その代り新鮮味はない。不満は理系文系と分けすぎること。驚いたのは、科学は人の幸福のためにあるといふところ。そんなことはないだらうと思ったが、それは著者が自分自身を「科学者といふより技術者」と書いてゐるやうに、技術者の視点から見てゐるからではないか。技術は人類の幸福のためにあっていい。科学は人類の幸福とは関係なく真実を知らうとするものではないだらうか。真実を知るのは人類にとって幸福であるならさうもいへないこともないが、多分著者が云ひたいことはさういふことではないだらう。
話は変はるが、今日までにどうやら私は新書を197冊pdf化したやうだ。多分あと250冊弱残ってゐる。全部で500冊に満たないといふことになる。これまでに売ったりしたのが50冊くらゐ。少ないなあ。新書くらゐもっと気軽に買ってもいいやうな気がしてきた。今は一冊ごとに命にかかわる問題のやうな決意で買ってゐる。これを買ふことで居住空間がどれほど減るのかと自分に問ひかけながら。
昨日は疲れて日記を書く元気もなく寝てしまった。やれやれ。
BOOKS asahi.comの書式変更に新着情報自動取得スクリプトをやうやく全部対応できた。他の書評情報取得スクリプトの修正も。
CD-ROM版『シェイクスピア大全』(新潮社)を使はうとして驚いた。T-TimeがMacOSX 10.7では動かないのだ! 九月一日対応予定だといふ。私は今、たった今、この瞬間に必要なのだ。九月一日では困るのだ。どうすればいいのか。
そんな訳で(全然訳を説明してゐないが)、全然本は読めず、朝から晩まで仕事に勤しむ。涼しくなったのはよかった。
ハリー・ポッターといふシリーズ作品があるが、これはもう日本語訳を読むことは一生ないのではないかとふと思った。あれだけ売れたら、もしも紙の本が必要になったら古本屋で簡単に買へさうな気がする。この際、全部pdf化してしまっていいのではないだらうか。さうすれば、書棚にかかる重量がかなり減らせる。我が家の居住空間を占有してゐる本の体積を少し減らせる。蔵書の体積と重量は命に係る問題である。
マイク・シェパード『救出ミッション、始動!』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]をやうやく読み終へる。これに八日もかけてゐるやうでは困るな。
しかし、話は面白かった。設定としてはありがちな気もするもので、大金持ちで政治家の娘が宇宙海軍に入っていろいろ騒動を引き起こすといふやうな感じ。美人で有能で、しかし、素直に命令に従ふわけがなく、自分の正しい道を進んでさまざまな問題を解決してしまふのである。基本的に私は軍隊ものは嫌ひだが、どうして面白いのか判らないけど、まあいいか。次も読まう。
AbeBooks.comで検索して、Better World Booksに、
○Derek A. Roff Introduction to Computer-Intensive Methods of Data (Cambridge University Press)
を註文。本体の価格がUS$ 35.94で、送料がUS$ 4.97。円高だから3200円くらゐだらうか。実はこれの日本語訳『生物学のための計算統計学』(共立出版)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を買はうと思ったのだが、ちょっと高いなと思ったので、原書を購入。資金が豊富な人は日本語版を買ふといいと思ふ。
プログラムはS-PLUSを使ってゐるが、Rでも動くらしい。
今日はまた肩が気が狂ひさうなほど痛い。まあ、肩が痛くて気が狂ったといふ話は聞いたことがないから大丈夫だとは思ふが、つらくて仕事が捗らない。これを書くのもつらい。といふわけで、とりあへず今日は寝る。
今日は疲れたので、休み。
bk1やBOOKS asahi.comの書式変更に対応するスクリプト書き換へをしなくてならないのに。しかし、この本の数行を書くにも、途中で何度も眠ってしまひ、なかなか書けない状態なのだ。
ちょっと目を閉じると夢を見てゐる。夢の中で熟睡したら、もう戻ってこられないのではないかといふ恐怖を抱いてしまふ。
紀伊國屋書店に本を註文。
●鴻巣友紀子『全身翻訳家』(ちくま文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●森博嗣『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●『サイエンスコミュニケーション』(日本評論社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●ひこ・田中『ふしぎなふしぎな子どもの物語』(光文社新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
以上五冊。
今日の電子化本。
◆『人に役立つ微生物のはなし』(学会出版センター/2002年)
◆松永和紀『植物で未来をつくる』(化学同人/2008年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆『玄箱PROの本』(毎日コミュニケーションズ/2008年)
微生物のはなしはもう新刊書店では買へないのか。植物の本は、遺伝子組換へなどの技術を使ってさまざまな機能を持った植物を作っていく話。面白い。遺伝子を操作するといふと何でも危ないみたいな雰囲気があるのが嫌で、組み換へ食品を応援したくて食料品店に行っても、納豆は遺伝子組換へ大豆を含まないといふ表示のあるものばかり。どちらか好きな方を選べるやうに選択の余地を残しておいてほしいものだ。玄箱PROは全然活用できなかった。反省してゐる。
bk1はどうやら検索結果の表示形式を少し変へたやうだ。IDの取得スクリプトがbk1のIDを自動抽出できなくなった。ちょっと作り変へて様子を見ながら運用。
今日は余裕がないのでこれで。
今日は、二つの本を比較して、何か共通の文を引用している箇所を拾ひ出すスクリプトを書いてみて、楽しくなってしまひ、そればかり試して本来の仕事が全然捗らなかった。そんなことでいいのか(いいわけがない)。でも、記憶に頼ってやるのと違ひ、印象薄い場所でも検出できるから嬉しい。でも、Mythopoeiaくらいは短いから覚えておくべきなのかも(嘘)。
古典的名作の検索用データベースを作っておいて、一つの作品を端から順に検索していって引用箇所を抽出するといふのは、できるやうにしておくとなかなか便利かも知れない。作っておかうか。
今日の電子化本。
◆鈴木孝夫『日本語と外国語』(岩波新書/一九九〇年)
私が持ってゐるのは、一九九一年の第六刷。ずいぶん変色して茶色になってゐると思ったら、もう二十年も前の本なのか。内容は、日本語と外国語でつい一対一対応だと思ってしまひがちな単語でも、その意味する範囲はかなり違ふことが多いと指摘する。それによって言語による環境認識に違いがあるのだらうといふ話。といっても、別にサピア・ウォーフ的な話題ではない。
紀伊國屋書店から、高山宏『新人文感覚1 風神の袋』(羽鳥書店)[amazon.co.jp, bk1, 紀伊國屋書店]が届く。大きい! そして、重い。今日から少しづつ読みたい……が、読めるか?
マイク・シェパード『救出ミッション、始動!』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を手に取って出勤。意外に(といふと失礼だが)面白い。
今日の電子化本。
◆池内了『擬似科学入門』(岩波新書/二〇〇八年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆松永和紀『メディア・バイアス』(光文社新書/二〇〇七年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆『ベイジアン・ネットワーク技術』(東京電機大学出版局/二〇〇六年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆『iPhone/iPad x HTML5アプリ制作』(ソフトバンククリエイティブ/二〇一一年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店, Yahoo! Books]
◆小林信彦『イエスタデイ・ワンス・モア』(新潮社)
◆小池清治『日本語はいかにつくられたか?』(ちくまライブラリー/一九八九年)
最初の文庫二冊は、ニセ科学とか、科学っぽい嘘の報道について考へるときに、極めて有用な本。前に人に貸して紛失されたことがあるので、もう電子化してしまへと思った。だから、もう貸せない。今日は眠いので、これで。
世の東西を問はずといふ云ひ方があるが、南洋の立場はどうなるのかといつも思ふ。
Amazon.co.jpから、C・S・ルイス『喜びのおとずれ』(ちくま文庫)とJ・R・R・トールキン『農夫ジャイルズの冒険―トールキン小品集』(評論社/二〇〇二年)が、太田書店からハンフリー・カーペンター『J・R・R・トールキン 或る伝記』(菅原啓州訳/評論社)が、それぞれ届く。
可哀想なことに、いきなりルイス自伝は裁断されてスキャナにかけられる。
◆C・S・ルイス『喜びのおとずれ』(ちくま文庫)
といふ訳である。これは直ちにOCR処理も済ませ、検索可能な形にする。そのために買ったのだから。
トールキンの『伝記』もそのために買ったのだが、手に取って狼狽へる。私が持ってゐるのと違ふ。よくよく見れば、私が持ってゐるのは二〇〇二年の新装版といふものだ。今回届いたのは初版である。こんな表紙も違ふやうなものだと二冊持ってゐるやうな気がしないから、一冊を裁断してスキャンするといふ気になれない。何だか無駄に本が増えてしまったではないか。どこかに、ぼろぼろの新装版が百円くらゐで売ってゐないものだらうか。
トールキンの『農夫ジャイルズ』を眺めてゐたら、『トールキン小品集』を持ってゐたやうな気がしてきた。これは『トールキン小品集』の新装版なのだ。しかし、引越しのときに姿を見てゐないから、やはり持ってゐないのか。昔、書店で何度も手に取って買はうか買ふまいかあまりにも何度も悩んだので自分の書棚の前で手に取ったやうな気がするだけなのか。金がない頃(今もないけど)書店の書棚の前でどうしようか悩み過ぎて自分の書棚の前で手に取ったやうな気がしてしまふ本は少なくない。
朝から左肩が発狂しさうなほど痛かったので、久しぶりに足マウスを使ふ。一日中使ってゐたら、だんだん慣れてきた。まだ細かい作業は難しいが、大半の作業は大丈夫ではないか。ときどき、膝を曲げてくなったときに仕事が止まってしまふのが難だが。
高原書店から、『ワーズワス・序曲』(岡三郎訳/国文社)が届く。調べたい箇所を確認。この三行のために買ったのだ。後悔はしてゐない。
都市出版社の『農夫ジャイルズの冒険』は持ってゐる。しかし、これには「トム・ボンバディルの冒険」は入ってゐない。シリーズを三冊揃へなければならないのだ(ボンバディルだけなら揃へなくてもいいのだけど)。仕方がないので、Amazon.co.jpに
●J・R・R・トールキン『農夫ジャイルズの冒険―トールキン小品集』(評論社/二〇〇二年)
を註文。すでに新刊書では買へなくて、マーケット・プレイスでの購入である。当然持ってゐて然るべき本である。だから、後悔はしてゐない。
今日は、電子化の作業はできなかった。このままでは千冊達成が年を越してしまふではないか。いつの日か、手持の本を全部電子化してしまって、やがて本といふものを忘れてしまひ、誰かに家具の裏に落ちてゐた本を手渡され「こんな古い本がありましたよ!」と云はれても、「本? それはどのやうにして使ふものですか」などと云って相手を怯えてさても面白いと思ふ今日この頃である。
そのうち本のページを開かなくても本が読めるやうになるのではないかと思ってゐるのは秘密だ。夜中になると屋根の上で猛然と本のページを捲る自分の姿が目撃される噂が広がるといいなと思ったりする。もちろん、中島敦の作品を思ひ出してゐる。
今日はスキャナーで取り込んだ一六九ページのファイルにMac OSXのPreviewの注釈機能でいろいろ書き込んでいく作業をずっとやってゐて、その注釈機能で書いた丸や四角、線や矢印はほとんど赤字で記してゐた。それが、何度かファイルを保存してゐるうちに色が薄くなり、一部のページでは赤がほとんど白になってしまったのだ。何といふことだ! 記号を一つ一つ選んで赤に戻さなくてはならないのか。白くなった記号を見つめながら、ただただ呆然と虚空を見つめるだけだった。さうしてゐたら、眼を戻したときに赤色になってゐて、何だ錯覚かあと独り言を呟いてみたりできるかも知れない思ったのである。呆然としながら、何かの見間違ひであってくれ、あるいはただの夏の昼下がりの夢であってくれと願った。心の奥から本気で願った。だが、いくら呆然としながら願っても、色は元に戻らなかった。
仕方がない、やり直しだ。しかし、また色が消えたら嫌だと思い、今度はAcrobat Pro Xを使ふことにした。やれやれ。
呆然としても本は電子化する。
◆恩田陸『木曜組曲』(徳間文庫/二〇〇二年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆酒井順子『ズルい言葉』(角川春樹事務所/二〇一〇年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆津田幸男『侵略する英語、反撃する日本語』(PHP研究所/一九九六年)
『木曜組曲』は読んだはずなのだが、思ひだせない。『ズルい言葉』は、まだ読んでゐないことは覚えてゐる。pdfファイルをついつい読んでしまふ。このズルいといふのは、いろいろな思惑や云ひ訳などが込められた言葉たちを私たちが毎日使ふ言葉から拾ひだしてくる。英語の本は、ちょっと古くて、これは間違ひなく読んだのだが、やはりよく覚えてゐない。
物語の話の続き。さて、物語による世界認識が強まれば、自分(や他人)の世界の中での位置や役割、存在する意味が決まる。ここまで書いたところで邪魔が入って、十分くらゐして再開しようとしたらもう何を書かうとしてゐたのか思ひ出せない。ちょっといいことを思ひついたやうな気がするのだが。ああ、あれは何だったのか。
さういふときは、すぐに何か手近なものに書き留めておけばいいのだらうが、書くものを用意したときには忘れてしまふことが多い。私の思ひつきの平均寿命は数秒のものがほとんどだ。たちまち虚空に消えていく。これがもっと長持ちしてゐたら私は極めて有能な人物になれてゐたかも知れない。
私の記憶は実に短い。何か調べようと思って、さうだGoogleで検索しようと心に決めて、いくつかクリックしてブラウザ上のGoogleの検索窓を開き、そこに検索語を入力しようとしたときにはもう何を調べようとしたのか忘れてゐることが多い。あ、あのファイルを読んで確認しておかうと思って、フォルダをクリックしていくうちに、何のために何のファイルを開かうとしてゐるのか忘れてしまふことも多い。私は若い頃からさうなのだが、どうやら世の中の多くの人はさうではないらしい。
だから、将来、頭の中で考へるだけでメモをとったり、ネットに接続して検索したりできるやうになったら、私は躊躇ふことなく頭を外部記憶装置やネットに接続しようと心に決めてゐる。
いまさら買ふのかといふ本を数冊註文した。まづ、Amazon.co.jpで、
●C・S・ルイス『喜びのおとずれ』(ちくま文庫)
のマーケットプレイス出品品を註文。この本が新刊書で買へないことに驚きを禁じ得ない。代金は103円。送料が250円である。
次に日本の古本屋で検索して、
●ハンフリー・カーペンター『J・R・R・トールキン 或る伝記』(菅原啓州訳/評論社)
を静岡市の太田書店に註文。つぎに、やはり日本の古本屋で検索して、
●『ワーズワス・序曲』(岡三郎訳/国文社)
を町田市の高原書店に註文。トールキン伝は1050円+送料。ワーズワスは1500円+送料300円。
ルイスとトールキンのそれぞれ伝記本はスキャン用である。ワーズワスはちょっと調べたいことがあったので。
今日の電子化本。
◆篠崎晃一+毎日新聞社『出身地(イナカ)がわかる! 気づかない方言』(朝日新聞社/二〇〇八年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
気軽に読むと楽しい。知り合ひが使ふ不思議な言葉もこれに載ってゐるかも知れない。前から意味を訊かうと思ってゐたけれども何となく訊けなかったあの言葉が!
◆DigiFi No.1 (2010 OCTOBER)(ステレオサウンド/二〇一〇年)
PCオーディオについてのムック。この分野は内容がすぐに古くなると思ふので、とりあへず電子化して保存。もう一生開かないかも知れない。
思ひ出した! 物語による世界認識が進めば自分の世界の中での役割や存在する意味を見出すことができて、さらの世の中の大抵の力は善と悪に分類できるやうになる。同時に、宿命とか運命とかも自分に提供してくれる。物語は何でも説明してくれる。世界が善と悪の勢力に分類できて、専らその戦いで世の中は進んでいく、それに対する自分の立場も明らかになったとき、異世界で善と悪の戦いに巻き込まれる主人公の小説を手に取って読む必要があるだらうか。そんなものは、その眼で世界を眺めればいくらでも転がってゐるのだから、ときには自分もそのなかで何らかの役割を果たすように感じられるのだから。さうだ、だから異世界ファンタジイの翻訳が売れなくなってきたのだ(ちょっと強引である)。私たちは、そんな危険な物語を書物の中に再び封じ込めるべきだらう。物語を求めるときは、変な陰謀論のやうな話にではなく、小説に求めればいい。さうすればきっともっと本が売れるに違ひない。
一度、身にまとはりついてゐる物語をきれいに洗ひ流した方がいい。多分、強固な鎧がなくなったやうな心細い気持ちにならうだらう。そこで、本を手に取って読み、一冊一冊読むごとに改めて物語を身にまとふのである。そのとき身にまとふ新たな物語は前より普遍的で他者との共有が可能な物語に違ひない。
うまくまとまらなかった。最大の問題は書いてゐる自分があまり信じてゐないところだらう。
マイク・シェパード『救出ミッション、始動!』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を読み始める。何となく第一巻のことが頭に甦ってきた。読みやすい。が、まだ百ページ。
朝日新聞の書評サイトBOOKasahi.comの大改変があって、URLも変はったし、全体の構成が変はってしまったので、新着情報を取得するスクリプトを書き直さなくてはならなくなった。結構大変である。しかし、一日中こんなことばかりやってゐられないので、とりあへず、書評一覧取得スクリプトだけ書き直す。
物語について、続き。物語に依存しすぎると世界認識に物語を求めすぎるやうになってしまふに違ひない。陰謀論は結局はさういふことなのだらうと思ふが、所謂ニセ科学も物語を求める人々に受け入れられやすいのではないか。自分に関係した(関係しないこともあるけど)物語で世界を説明してくれる。水からの伝言とか血液型性格判断でも、さういふことだらう。
掛け算の順序に固執してしまふ人もさうなのかも知れないではないか。皿とか林檎とかいふ属性を振るい落として抽象的な数値に置き換へて世界を認識していくのが数学だと思ふのだが、さういふ抽象化が不完全で終はってしまふのはきっと物語に依存してゐるからだ。物語では、皿も林檎もそれぞれの存在理由と目的があるから、数字による抽象化に耐へられない。さうしてゐると足し算ができなくなりさうなものだが、まだ足し算ができないところまでは行ってゐないやうだ。林檎と蜜柑は物語的にはきっと加算できない。
物語は本の中に封じ込めておけばいいのだ。そして、物語を求めて本を読めばいいのだ。むしろ、本とは物語を封じ込めるためのものなのかも知れない。その封じ込めの力が弱まって、世界に解き放たれた物語が拡散して人々にとりついて物語による世界認識が広まってしまったのだらう。物語に依存しすぎなければ本当の自分を探しに旅に出たりはしないはずだ。そんな暇があったら本を読めばいいのに。自分がこの世に生まれてきたのには何の意味も目的もないのだ。それに耐へられないのであれば、本を読めばいいのだ。
今日の電子化本。
◆大野晋・鈴木孝夫・森本哲郎『日本・日本語・日本人』(新潮選書/二〇〇一年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆加藤ゑみ子『お嬢さまことば速修講座』(ディスカヴァー・トゥエンティワン/二〇〇〇年)
お嬢様言葉の本は、ふざけてゐるのかと思ったら、著者は結構本気のやうだ。今どきこんな言葉を使ふ人がゐるのかと思ふが、お嬢様と親しくしてゐないので実在のお嬢様の言葉が判らず、あまり自信がない。もしも将来お嬢様言葉を書かなければならなくなったとしたら参考にしよう(話さなくてはならないことはないだらう)。その日に備へて電子化。
紀伊國屋書店に、
●高山宏『新人文感覚1 風神の袋』(羽鳥書店)[amazon.co.jp, bk1, 紀伊國屋書店]
を註文。これはちょっと勇気が必要だった。
大塚英志『物語消滅論』(角川oneテーマ21/二〇〇四年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]読了。物語が怖くなる。イデオロギー化するといふのはちょっと判らなかったけれども。イデオロギーに取って代はるなら判る。
それにしても、世界をこれほど物語で理解しようとするのが浸透してゐるとは思はなかった。もちろん、数へた訳ではないから、どれだけの人にどれほどの傾向がみられるかは判らないのだけど。しかし、イラク戦争でもオウム真理教でも、確かに物語で世界を動かさうとしたやうには見える。物語で世界を認識しようとすると、陰謀論に陥りがちであると思ふ(証拠はまだない)。物語を求めるあまり、そこに存在しない物語を見出すのが陰謀論だといってもいいだらう。
そこで先日の、科学を物語で説明するといふ話があったけれども、あれは極めて危険だと思ふし、科学を歪めてしまふのではないかと思ふ。科学は、世界を物語抜きで認識するものの見方、考へ方だと私は信じてゐる。観察したことから物語を振り落として、各人の物語に依存しない説明を見出すのが科学の考へ方ではないだらうか。だから科学による世界認識と物語による世界認識は相容れないと思ふのだ。世界のさまざまなできごと、あるいは人物、もちろん自分も、それ自体には何も意味も目的もないはずだ。物語では、さうではない。何事にも意味がある。すべてのものとできごとが因果律で結びつけられてゐるから。
世の中にはいろいろな考へ方をする人がゐていいので、物語に基づいて世界を認識してゐる人がゐてもいいのだらうけれど、さういふ人とは理解しあへないとこの頃は感じ始めてゐる。認識してゐる世界が違ふのだから。
科学を物語で説明しようとすると、科学は人を幸せにするためにあるとかいふのだらうか。さう云った人の本は読んで確認しようと思ってゐる。本来科学には目的はないはずだと思ふ。ものの考へ方だから、何かの目的のためにすることではない。世界認識の方法なのだから。しかし、技術には目的があってもいいと思ふ。人を幸せにするためにあるのかも知れない。そして、技術には物語があってもいい。科学と技術は互ひに依存してゐるかも知れないが、まったく別のものなのだ。
もしかしたら、私は物語が嫌ひなのかも知れない。
今日の電子化本。
◆ブライアン・カーニハン&ロブ・パイク『プログラミング作法』(アスキー/二〇〇〇年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
◆北浦訓行『LyX入門』(技術評論社/二〇〇九年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
以上二冊。結局二冊ともほとんど読んでゐない。LyXは人に説明するときにいいかなと思ったのだが、自分で使ふときはやはりコマンドラインでちまちま打ち込むのが私は好きなのだ。
電子化したpdfファイルの保存領域を確保するために、調子の悪くなったハードディスクを交換した。ちょっと手間取ってしまった。簡単な作業なのに。1 TBのしたので、あと三千冊くらゐは保存できさう。一年で千冊電子化するとすれば三年しか持たない。多いやうな少ないやうな。
なぜか大塚英志『物語消滅論』(角川oneテーマ21/二〇〇四年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を手に取って出勤。大塚英志といふ人は、こんなに村上春樹に対するH・P・ラヴクラフトの影響を力説する人だったのか。知らなかった。村上春樹がラヴクラフトに言及することは少ないのだが、ないわけではないやうだ。
それはまあいいのだが、私はこの頃つくづく物語が怖くなってきた。
紀伊國屋書店から、喜国雅彦『本棚探偵の生還』(双葉社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]、トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(新潮社) [amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]が届く。本棚探偵の帯に「こんな時代に無謀な造本!」と書かれてゐるのが素敵である。冒頭から、生還・帰還問題が面白い。
マイク・シェパード『救出ミッション、始動!』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を訳者の中原尚哉氏からいただきました。ありがたうございました。これは第一巻を読んでゐるので、きっと読まうと思ったが、第一巻の内容をほとんど思ひ出せないことに気がついた。読んでゐるうちに思ひだせばいいが。
Fantasy & Science Fictionの7/8月合併号が届く。この手触りと匂ひは何ともいいものである。それで中身の方は全然読まないのだけど。
Locusのpdfファイルを一ヶ所にまとめて、ファイル名の間違ひなど修正しながら確認してみると、1990年6月号が欠けてゐることが判明した。30年分の一号だから、それで困ることは一生ないだらうが、何となく落ち着かない。それを埋めたときの満足感はさぞかし気持ちの良いものだらう。
今日の電子化本。
◆本間義人『居住の貧困』(岩波新書/二〇〇九年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
今日は一冊だけ。貧困の本はちょっと飽きてしまったのだが、これは日本の住宅政策の歴史なんかも判ってなかなか面白い。
実はついさっき気づいたのだが、この本の題名を『住居の貧困』だと思ひ込んでゐた。
今日は、pdf化書籍の検索・一覧表示システムの英語版を作る。英語だとそのままの形で扱へない文字などがあって('とか"、あるいは&など)何度もやり直す。ISBNの書き間違ひ、その他の間違ひでさらに時間を使ってしまふ。それでも、何とか作業が終はり82ファイルのデータベースができた。和書は520なので、計602冊といふことになる。年内に千冊にしたい。
そんなわけで、今日はこんなことしてゐる場合ではないのに、新書のスキャンを少々。
●薬師院仁志『英語を学べばバカになる』(光文社新書/二〇〇五年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●小林章夫『イギリス英語の裏表』(ちくま新書/二〇〇一年)
●江上信雄『メダカに学ぶ生物学』(中公新書/一九八九年)
『メダカに学ぶ生物学』は、メダカを使ってさまざまな条件での放射線障害を検証してゐるのが興味深い。非常に強い放射線では脳が、次が腸が損傷を受け、低い放射線では癌化の確率が上昇するといふ結果自体はすでに知られてゐることと同じなのだが、メダカは数をこなせるから数値として納得できる結果が得られるところがよく判る。残念ながら新刊書店では手に入らないやうである。
朝顔の花を喰ひ荒らす芋虫に悩まされる今日この頃(そんなに悩んでゐないけど)。
昨日作ったpdf書籍表示・検索システムが気に入ってしまって、つい本の表紙を並べては、少し中を覗いてみたりするので、仕事が捗らない。穂村弘とか鷺沢萠とかを、つい。さらに、もっともっとスキャナーで読み込んでpdf化したものを増やしたいといふ欲求が心の奥底からふつふつと湧き上がってくるのである。しかし、今日は我慢する。今日はどうしても進めなくてはならない仕事があるのだ。我慢する。私だって、たまには我慢するのだ。
英語の本を探しては、Mac miniにある書籍のpdfファイルubuntuサーバへ英語の本も表示させたくなり、自動スクリプトを動かしても、39件しか登録されないのはどうしてだらう。ファイルは86件あるのだが。
今は、表紙画像用のjpegファイル作成中。スクリプトが働いてゐてくれる。
話は変はるが、The Timesの1925年5月25日の紙面を読みたいのだが、どうすればいいのだらう。The Times Archivesのサイトで一日券みたいなものを買へば、検索、印刷、ダウンロードができるやうに書いてあるものの、そんな一日券を購入できるところは見つからない。もうやめてしまったのだらうか。
今日もゴールドスタインを持って出勤。なかなか進まない。
自宅サーバが復活したので、自分でpdf化した本のファイルを集めて、ブラウザに一覧を表示させたり、書名や著者名で検索できるやうにした。詳細は別館の方で報告するつもりだが、何だかファイルが足りないやうな気がする。検索対象の件数は和書が512。実際のpdfファイルは536あるので、24ファイルがデータベースに登録できなかったといふことになる。直さなければ。英語のファイルは86。もっとあるやうな気がするのだが。ドイツ語は2。もともと持ってゐる数が少ないから当然だ。
他に雑誌などもある。英語のファイルは文字認識の処理をしたあと、全文検索ができるやうにしたいものだが、そんなことをやってゐると本を読む時間がなくなってしまひさうなので、やめておかう。
pdf化した本はちょっと悲しい立場の本ばかりである。間違へて二冊買った本とか、本としての愛着が薄いのでまた必要になったら検索して呼びだせばいいのだと思ひ切れるものである。そして、電子化すると目の前からは消えるので、未読の本も忘れられがち。書棚に並んでゐるときは、高いところから私を見下ろして、いつになったら読むのかねといふ圧力をかけられたのに。よく考へると可哀想な本たちなのだ。
久しぶりに電子化本。
◆鈴木裕『iPodではじめる快感オーディオ術』(リットーミュージック/二〇一〇年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店t]
◆『パソコンで楽しむ極上のオーディオサウンド』(Color新書y/二〇一〇年)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
どちらを読んでも、とても自分にはできないやうなことばかりだと感じた。値段的にも絶望的。そんなに手間ひまもかけられない。それほどの金と時間があったら、本を買って本を読みたい。
Lisa Goldstein The Uncertain Places (Tachyon, 2011) を手に取って出勤。主人公(多分)が大学生の頃のことを思ひ出して語り始める。ページに漂ふ甘ったるい雰囲気。実は私はかういふ話が好きなのかも知れない。まだ、本の十数ページ。本を読むのが遅すぎる。
ゴールドスタインの本を読むのは何年ぶりだらう。これの前の長篇はThe Alchemist's Door (2002) だったか。ほとんど十年ぶりである。
どれも面白い(少なくとも私はさう思ってゐる)のだが、日本では難しさう。
職場ではMac OSX Serverの設定にとりかかりほぼ一日を潰す。サーバの設定と管理ばかりである、昨夜から。前に使ってゐたころとどうも違ふので、やり方が判らなくなってしまふ。普通のMac OSXとあまり変はらなくなってゐるやうな感じである。いろいろなことが独特で難しい面もあるが、次に自宅サーバを買ひ換へるときはこれにしよう。小さくて静かで、性能もなかなかいい。
(英語の)本をもっと早く読めるやうになるにはどうすればいいのか。
大村じゅん『イギリス英語の秘かな愉しみ』(ワニブックスPLUS新書)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
を読みながら出勤。あまり真剣に読めず、なんとなく読み流してしまふのが残念。もちろん、残念なのは本の内容ではなく、私の態度である。でも、土砂降りの表現に犬や猫がどうして登場するのかは、きっと忘れない。まだ、途中。
紀伊國屋書店に本を註文。
●喜国雅彦『本棚探偵の生還』(双葉社)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
●トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(新潮社) [amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]
以上二冊。「古本探偵」は面白いので、全部買ってゐる。今回も楽しみである。
突然、サーバの移動を実施。Amazon EC2から自宅へ帰還。どうしてかといふと、使用料が負担になってきたから。ひと月75ドルはちょっと厳しい。いくら円高だとはいへ。
移行は問題なくできただらうか。これが読めてゐれば、少なくともこの日記は大丈夫である。
ジョン・R・キング『ライヘンバッハの奇跡』(夏来健次訳/創元推理文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]読了。若いカーナッキと記憶をなくしたホームズ、悪魔のやうなモリアーティー教授、そして、若くて美しいアンナが主たる登場人物で、彼らの冒険は実に面白い。昨日も書いたやうにどうしてこれがそんなに面白いと自分が思ふのかがよく判らないが、面白いのだ。最後に、超自然的なできごとをホームズが頑なに否定することころがなかなかいい。
Macの話。
一日MacMiniの調整に費やしてしまった。困ったのがSynergy。これは複数のPCを一つのキーボードとマウスで操作するといふもの。Mac、Linux、Windowsのどれを親にしてもどれを子にしても使へるといふ素晴らしい作業環境を提供してくれるのだ。私はUbuntuのキーボードとトラックボールでMac miniを操作してゐる。これがうまく設定できず数時間を潰してしまふ。詳細をここに記しても仕方がないので書かないが、夕方にはほとんど問題なく動くやうになった。ただ、CommandキーとOptionキーが前とは逆になってゐる。Appleのキーボードとも逆になってゐるわけだけど、まあ、使へればいいか。
SpiderOakの認証ができなくて困る。
ジョン・R・キング『ライヘンバッハの奇跡』(夏来健次訳/創元推理文庫)[amazon.co.jp, bk1, 楽天, 紀伊國屋書店]を読みながら出勤。相変はらず面白いが、どうしてこれが面白いと思ふのか自分ではよく判らない。カーナッキとホームズだから、そんなに独創的とも思へない。組み合はせの面白さか。でも、あまりホームズらしくもないし、カーナッキらしくもない。何なのか、これは。
アメリカのSF情報誌Locus8月号(電子版)が届く。その新刊紹介欄を読んでゐて、つい買ってしまった。
○Ekaterina Sedia Heart of Iron (Prime Books) [Amazon.com, Amazon.co.jp]
Kindle版である。だから、550円くらゐで買へるのだ。何といふ円高だ。