梵先生の案内で梵寿綱建築巡りをしてから、自分が住むこのカーサ中目黒についても少し写真を整理してみようと思った。もちろん、カーサ中目黒も梵寿綱建築の一つである。梵寿綱を名乗る前なので「梵寿綱以前」という分類になるが。
最近、二階バルコニーの防水工事などあって、少し様子が変わった。これが2012年12月のカーサ中目黒正面である。
こちらが2010年4月の様子。日時計の右下の宿根朝顔がなくなっているのが見て取れる。
以前は4階から見下ろすと朝顔がこんなふうに咲き乱れていたのだ。2010年7月の写真である。
タイルの床が少し見える写真。一角が花壇のようになって植物がいろいろ植えられていた。どのように土が入っているのかは上からは見ても判らない。
この下が駐車場になっているのだが、雨漏りが激しく、天井の塗装が剥がれ落ち、このままでは鉄骨も錆びてしまうということで、防水処理をやり直すことになったのである。残念ながらタイルは残せなかった。
防水工事の途中。花壇の一角にはタイルがなかったのが見える。梵先生に、この一角の花壇はどんなふうになっているのかとお訊ねしたところ、全然覚えていないなあということであった。
処理が進んで真っ白になる。まあ、この建物の外壁が白なので、まあ調和していると云えるだろう。ここは理事会や総会で改修工事の提案があっても、建物の雰囲気が変わる工事はすぐに却下されてしまうのだ。
上が一回目の塗装の後。下が完了後。処理後数日経っているのでもう少し汚れている。
大規模な照明修繕工事が二年ほど前にあった。入口から階段を上がると中庭の手前に天使像があるのだが、これが照明装置だと知る人は住人にもほとんどいなかった。下の写真の右下の照明も切れていたような気がする。
金属部分も掃除して、電気系統も修理して、天使が明かりをともしてくれるようになった。
夜の天使。奥に見える照明もついている。
ついでに二階通路天井の照明。
天使が明かりを持っていなかった頃の中庭。
朝顔がたくさん咲いていた頃の様子。
正面の門から階段を見上げたところ。
階段を上がって進んでから後ろを振り返るとこんな様子。夜の姿。
この通路の下にも別の通路がある。夜の通路の様子を撮ってみた。
ここの照明の電球がすぐに切れて困っていたのだが、修理してLEDに変更してから安定している。少し光量は下がったが、蠟燭型の照明の雰囲気は保たれた。最初は、蠟燭のように揺らめく照明だったという話も聞いた。
反対向きの写真。これを上がると中庭である。天使の下に出る。
この通路の突き当たりに不思議な窪みがある。二つ上の写真の突き当たりである。
何のためのかはよく判らない。以前、このマンションと道路を隔てて反対側にあるマンションに芸能人が住んでいて、その追っかけの少女がここに潜んでいたことがあるらしい。
この窪みの上に何やら文字が。CREDO QUIA ABSURDUMと書いてある。ラテン語で、「不合理ゆえに吾信ず」という意味らしい。
この窪みの横にある壁画。
これはただのガラスブロックだが、梵寿綱建築でよく見られるものなので、写真を撮ってみた。
これもときどき見られるチューブ状の何か。
’梵先生のFacebookページを見ると、このカーサ中目黒の古い写真も見ることができて、比較してみるといろいろ面白い。
もうこのシリーズも少し飽きてきたので今日で終わらせよう。二階の廊下の突き当たり付近の(といってもよく判らないが)窓から外を見ると、南国風の絵が見えた。
エレベータ前の照明(二階)。
娯楽室(TVのあるところ)が食堂の手前にある。その天井近くの写真を三枚。食堂には入居者の方々が大勢集まっていたので写真はない。エレベータや防火扉の表面には見事な絵が彫られているのだが、それも写真にうまく写せないないの記録は残っていない。仕方がない。
そして屋上へ。ちょっと寒い。霊安室の方を見下ろす。
食堂棟の方を見下ろす。
鸛(コウノトリ)を見下ろす。
エレベータで上って来たが、階段で降りる。階段の天井。
階段の段。安い木材で平らな一枚板がとれないから、それを模様にして装飾を施したとか。
階段を下まで降りて、お終いである。
この後、向台老人ホームを後にして、モノレール、京王線で新宿へ戻った。そこで私は別れて別の用事に。およそ6時間の見学であった。建築のことなど何も知らない一般人が取材についていっていろいろ説明していただいてしまっていいのかという一日であった。前にマンションの管理組合としてお会いしたことがあるので、実は二回目なのだが。
写真はなかなか難しい。もっといろいろな角度から撮っていいものを選べばいいのに、一枚撮って安心してしまうのである。遠くから撮ったり近くから撮ったりすべきであった。
ちょうど今日、向台老人ホームのことが載っている松葉一清『ポスト・モダンの座標』(鹿島出版会/1987年)が古本屋から届いた。記事では、特に霊安室について詳しく紹介し、「わざわざ遠方から入所の希望を伝えに来る老婦人まで現れた」ことを記し、「その事実は、梵と工人集団の創作が、単に奇をてらったものではなく、一般の人たちに広く受け入れられる素地を持っていることの何よりの証明といってよいだろう」と結んでいる。
しかし、ここは老人ホーム。当然のことながら写真に写っていない入居者たちの様子は、決して壁面に描かれた南の楽園に暮らす人々とは程遠いし、建築物の慈しみと安らぎに人々も満たされているかというとそうでもないという現実には厳しいものがあった。
向台老人ホームの中をさらに進む。いきなり二階へ上がって浴室へ。天井と壁の境目の過度に人の鼻や目があって、涙を流していたり鼻を垂らしていたりする。
浴室の窓から向かい側の窓が見える。
廊下はこんな感じ。上にあるステンドグラスの飾りは、部屋の位置を覚えるのに役立つのだという。番号だけで覚えるのは入居者には難しいことがあって、自分の部屋がどこだか判らなくなりがちだが、この絵で覚えていれば覚えやすいのだとか。
ここは何だったか……さきほど浴室の窓から見えた反対側の窓である。
そして、階段。まあ、見れば判るが。
しかし、階段は降りずに二階をもう少し見て歩く。
中へ入っていきなり霊安室。最初にちょっと覗いて最後にまた入ったのだけど、写真はまとめて。このときは霊安室で洗い終わった洗濯物の整理をしていたので、遺体を置く台などの上に洗濯物がたくさん乗せてあったために、写真は上の方しかないのだ。
霊安室の扉から。左の方に見えているのが梵先生の手だ。
中に入って目に入るのは巨大な掌。
遺体を安置する台も掌なのだが、洗濯物だらけなので撮影できず。後はただ、上の方を撮りまくるだけ。
普通は霊安室を居室の近くに作るのは嫌がられるのだが、あえて近くに作ったという。また、死者との別れとなるとどうしても宗教的になりがちだが、特定の宗教と関連するようなことを示すわけにはいかないので、大きな手を使ったというようなことを仰有っていた。掌に穴が空いているのは自分にも判らないとのこと。空いてなくていいんじゃないかと云ったのだが、製作者の考えでは必要だったらしくてそうなったらしい。
今日は霊安室だけ。
まだ外をうろうろしている。少しずつ入口へと近づきながらも地面に気を取られたり。
さっき見えた壁にあった風見鶏のような何かをよく見てみたが、やはり何だかよく判らなかった。
いよいよ入口へと近づく。
このまま入口へと入っていくかと思いきや……
外へ回って、一階に事務所、二階に食堂がある部分の様子を見たりするのである。
もう少し細部の写真を撮ればよかった。今はフィルムではないのだから、多めにとっておけばいいのに。そんなこんなで、いよいよこの扉から中へ入るのである。
マインド和亜での見学を終え、代田橋駅に戻り、京王線に乗って西へ。高幡不動駅で降りた。そして昼食。自分が梵寿綱さんと昼食を食べている不思議を味わいながら、ついでに昼食も味わう。どうして君はそんなにしゃべらないのかねとか云われる。
モノレールに乗り換えて上北台駅で降りる。そこから歩いて十数分。向台老人ホームが見えてきた
最初に見えるのが霊安室。
さらに近寄って見る。
もっと近寄る。
樹を取り囲むように建物が建てられていることが判る。建物よりも先にあった樹木らしい。
若い女と胎児。命の再生ということらしい。多分。
差し伸べられる手。もっと近くの写真も撮ればよかった。
子供を抱きしめる若い女。
入口付近で見る建物の壁面。壁に風見鶏がついている。
後ろを振り返ると鸛(こうのとり)が。新しい命を運んでくるものだから。
近寄って見ると、説明通りに二羽の雛鳥がいることが判る。これから建物の出入り口の方へと近づいていく。
階段を降りて、4階へ。以降はエレベータで降りていった。
4階の通路と見下ろす顔の高さが同じになる。
3階でちょっと見上げる感じ。
中庭を見下ろす。これくらいがよく見えて、且つ怖くない。
エレベータ前から外を向いてステンドグラスを撮ろうとしたものだと思ったが、この後、二階の回廊で撮った写真が入っていたので、よく判らない。
二階の通路の壁に埋め込まれたものたち。ちょっと暗くなってしまったか。
この後、代田橋駅へ戻り、京王線に乗って向台老人ホームへ向かうのである。
エレベータで五階へ。中庭の吹き抜けに面した通路があって、各部屋の出入り口の扉がある。そういう状況を示す写真も撮ればよかったのだが、そこまで気がつかなかった。写真を撮り慣れていないとこういうことになる。
5階から中庭を見下ろすと、鯨の尾の形をはっきりと見て取れる。高いところが苦手な私にはちょっと怖い。
5階通路から吹き抜けの向かい側を見るとこんな感じ。
通路を通ってエレベータと反対側に行くと、階段へ出る扉がある。ここは5階だから、5という数字をあしらったステンドグラスとなっている。各階が各数字を示しているのだが、写真を撮ったのはこの階だけ。なぜ全部撮らなかったのか。梵さんはこの扉の写真を各階丁寧に写していた。
階段は外にある。階段を降りる前に振り返ると蜥蜴とか蟬の幼虫(抜け殻?)の姿が。梵先生も初めて気がついたとか。普通は見る機会のない実に貴重なものを見られたわけだが、普通は誰も見ないようなところにこんな面白いものを作ってしまうところが素敵である。
階段を降りて4階へ。
マインド和亜の地下へ降りる。中庭から裏口側へ出る通路の天井。
階段を地下へ向かう一行。奥の人影が梵寿綱さんである。
地下から中庭側のステンドグラスを観る。合わせ鏡になっていて長く見える。
再び地上へ。エレベータへと向かう。エレベータ手前の郵便受けの前で床を見ると(というより、床を見てみなさいと云われたのだが)、十円玉が。もっといろいろ面白いものがあったのだが、写真を撮るのに慣れていないので、どこをどう撮ると面白い記録が残せるのかが今一つよく判らないのである。とりあえずもっとたくさん撮りまくっておけばよかった。
ここから、エレベータで最上階へ。
そんな訳で、鉄格子(ではなかったか)の扉を開けて中庭へ。
広くて綺麗な中庭である。しかし、人はいない。外部の人が入れるところではないから、そんなものだろう。ここで住人がくつろいでいたりはしない。私の住むマンションでも中庭で住人がくつろくことはないのだ、残念ながら。さらに残念なことにこんなに広い中庭でもないが、それは今は関係ない話である。
上を見上げると女神像(?)が見下ろしている。雨が入らないようになっている屋根は建設時にはなかったものらしい。後に、追加されたものだとか。
もしかして、これが一階の各戸へのドアなのだろうか。二階以上がこの中庭に面した回廊から出入りするようだから、やはりそういうことなのか。
このベンチに座って皆で記念写真を撮ったが、私は自分の写真が嫌いなので持っていない。
入口から鯨の尾のようなものが伸びている。
そしてベンチの奥の床から顔を出している不思議な生き物。中庭から奥のドアを開けて進むとさっき覗いた裏口に。階段を降りて地下へ。
少し歩くとマインド和亜が見えてくる。通りからの写真を撮り忘れたのは、前にもう撮っていたから。もう一回撮ればよかった。電線が多くてあまり美しく撮れないので頑張って撮ろうという気になれないせいもある。
住んでいる人が出入りするところをまずは撮影。この奥にエレベータがある。右に行くと中庭。ただ、このあと中に入らず裏へ回ってみたり。
近寄ってみた。
裏の方の出入り口から入って少し写真を撮ってみた。階段付近の装飾とか。
このポストは何に使うのかよく判らない。
また表の方へ戻って、エレベータ手前の床の手を撮る。
その近くの壁面。
こうやって写真を撮っている間、梵先生はどこかへ姿を消してしまっていた。所有者のところへいって、中庭に入る鍵を借りに行ってくださっていたのだ。平日ならコーヒー店の人に云えばいいのだが、日曜日は店が休みなのである。この後、中庭へと入っていく。
ラ・ポルタ和泉の続き。玄関ホールまでしか入れないので、その辺りを中心に写真を撮る。内側の扉の前の柱は途中で折れたり、なくなっていたりする。もちろん、古くて壊れてしまったわけではなくて、最初からこういうふうにできているのである。ちょっとした廃墟趣味ですねと仰っていた。
ラ・ポルタ和泉は小さな賃貸マンションなので、さほど時間もかけず、一行はマインド和亜へと向かう。歩いて十分も離れていないところにあるのだ。
トーキングヘッズ叢書(アトリエサード)が梵寿綱特集をするというので、何か書かないか、梵寿綱設計のマンションに住んでいたり、梵寿綱巡りの写真を紹介したりしているようじゃないかという聯絡をもらって吃驚して、吃驚するだけでなく、集めた資料を貸したり何か書きましょうかと相談したりしているうちに、今度梵寿綱さんの案内で建物の見学に行く取材があるのだが、一緒に来てもいいよと云われたので、もちろん行ってきた。
その日は、JR高田馬場駅で待ち合わせ、新宿で京王線に乗り換え、代田橋で降りた。まずはラ・ポルタ和泉である。目の前に立ってみて吃驚。前に見たときについていなかった色がついている。
この色には、梵さんも驚いていた。何か不思議な感じ。玄関ホールに入って、上の写真の像を反対側から。
玄関ホール天井。 窓辺でくつろいでいる猫に出会い、安らぎを乱してしまった。 今日は眠いのでここまで。続きはまた後ほど。